いらっしゃいませ!
名前変更所
裏の世界。
それは、危険な世界。
本で出回っているおとぎ話のように綺麗なモノは何もない。
あるのは改正前の、残酷な、本当の童話の中身。
シンデレラが本当にハッピーエンドだった?
それはどうだろうか。
赤ずきんは?白雪姫は?
本当に、王子様やお姫様のキスに、おとぎ話のような力があるのだろうか。
「嘘、でしょ?」
自分の喉から出てきたとは思えないほど、弱々しい声が口から吐き出された。
震える手は、目の前の信じたくないものへ伸ばされ―――静かに触れる。
生命維持装置を付けられ、微かな生命を分けの分からない機械に預けている彼の姿。
腹部には刺された痕があるのか、包帯がぐるぐると巻かれていた。
「・・・・一馬」
素直には、ばない彼の名前。
いつも呼べと怒られるのは、愛しあう時間の時。
桐生を刺したやつに、殺意すら湧かない。
ただ感じるのは、虚しさ。悲しさ。そして恐怖。
このまま彼が目覚めなかったら私はどうなるのだろうか。
刺したやつを、浜崎とかいうやつを、殺しにいくのだろうか。
「一馬」
そんなの、彼が望まない。
彼が望まないことを、することは出来ない。
私は唇を噛み締め、ゆっくりと桐生の枕元に腰掛けた。
「さっさと目を開けろよ」
声は、機械が奏でる心拍音と重なって消える。
伸ばした手を桐生の手から顔に上げ、機械を邪魔しないよう頬を撫でた。
あんまり、暖かく無い。
普段はもっと暖かいのに。
これが消えてしまうなんて。
想像するだけで、自分の全てが消えてしまいそうになる。
「っ・・・・」
お前はこんなので死ぬような男じゃないだろ?
不安にさせるだけさせて、本当にバカ。
「そうだろ?な、一馬」
さっきこの部屋に入る前に、医者に言われた言葉が耳から離れない。
信じたくないから、現実逃避をする。
こんなので死ぬような男じゃないって。
<・・・今夜が峠でしょう。だいぶ深くまで刃先が到達してしまっており、確率はおそらく・・・・>
そう言った医者の言葉は、嘘じゃない。
確率は3分の1。今日目が覚めなければ絶望的なのだと、そう言われた。
もう時間は夜――――暗い空が、私の焦りを掻き立てていく。
「ちゃんと呼んでるじゃん、なぁ、一馬」
名前で呼ばないなら返事をしないぞって言われたこと、あったよな。
だから名前で呼んでるんだ。
返事をするのが、当たり前だろ?
むかついて反応のない手を強く握りしめる。
「握り返せよ」
早く。
その声で、なんだ呼べるじゃねぇかって、意地悪く微笑んで。
早く。
この手で私を、抱きしめて。
早く。
目を開けて、私の目を見て。
壊れるぐらいに口づけて。
「・・・・一馬」
いつも私を見てくれる目は、閉じられたまま。
私を意地悪く抱きしめ、包み込む手は力の抜けた人形のよう。
私は静かに立ち上がり、桐生の口元についていた呼吸機器を外した。
かさついた唇が空気中に晒されたのを見て、私は素早くその唇に自分の唇を合わせる。
濃厚な口づけじゃない。
ただ触れるだけの、おとぎ話のような口づけ。
さぁ、王子様。
早く目を覚まして。
その声には桐生は応えず、変わったのはただ私の体温だけだった。
暑くなる体温を抑えながら機器を戻し、苛立ちを露わにする。
おとぎ話は、口づけて死にかけた人すら戻すんだろう?
なのになんで、駄目なんだ。
諦めたくない。
でも私に出来ることもない。
どうすればいい?
震える手を桐生の首元に伸ばし、本能のままに・・・彼の上へのしかかった。
「綺麗なおとぎ話なんて、存在しないのかもな」
口づけで起きないのなら。
それ以上のもので、それ以上の熱で。
桐生の身体の傷を開かないように気をつけながら、私は触れられる場所という場所に手と唇を這わせた。
口づけだけで起きる奴なんていない。
もっともっと、熱を分けてあげよう。
彼の本能を起こしてあげるように。
「はっ・・・桐生」
”なんだ?欲情してんのか?”
普段だったら、そんな意地悪いことを耳元で囁かれて、あっという間に逆転されるんだ。
嫌だと言いながらそれを望んでる。身体が、疼く。
「とんだ変態にしてくれたもんだぜ」
触れては離れを繰り返して。
口づけては吐息を漏らすのを繰り返して。
こんなの、子供のおとぎ話には存在しないだろう。
こんなドロドロとした物語は。
でもこうしてると、動くような気がしてくる。
大きな手が私の腰を掴んで―――撫でて、背筋をゾクリと震わせるんだ。
「・・・・桐生?」
ぴくり、と。
桐生の耳元に触れた瞬間、桐生の身体が反応したような気がして手を止めた。
「桐生」
あぁ、そうか。
「一馬」
名前じゃないと、反応しないんだっけ?
「一馬」
さぁ、早く目を覚まして。
私の
”王子様”
「・・・・ぁ」
小さく、呻くような声。
感動する目覚めなど与えるわけもなく、反応があった桐生の顔をぺちぺちと叩く。
「・・・・」
「桐生」
「・・・・もっ、と、良い・・・起こし方はできねぇのか・・・?」
かすれた声が、桐生の上にまたがる私に投げかけられた。
私は笑うことも出来ず、そのまま桐生を見つめる。
ああ、やっぱり。
素敵な物語なんて、無いんだよ。
起きないのなら口づけよりも深く。
動かないのなら、それよりももっと淫らに。
「良い起こし方だろ?桐生がいなくて・・・起きなくて・・・死んでしまいそうだったから、くちづけでも起きない王子様を起こしてやったんだ」
ひどい顔を、しているだろう。
私は零れそうになる涙をなんとか抑え、桐生の上から降りようとして・・・止められた。
腰に回る桐生の手が、力強く私を引き止める。
「あ・・・」と思わず声を漏らせば、痛々しい姿からは想像も出来ない力で足を押さえつけられた。
「き、桐生?おい、何して・・・・」
「そんな顔されたら・・・離したくなくなるだろうが」
「あ・・・おい、こ、こらっ」
形を確かめるように、私のおしりを撫でる手。
その手がそのままゆっくりと腰のラインをなぞり、胸に軽く触れ、また戻る。
「人に起こし方がどうのこうのいってるけど・・・この目覚め方もどうかと思うぜ?」
「フッ・・・言ってろ」
「こら、一応死にかけてたんだから・・・・医者、呼ぶぞ」
「・・・・あぁ」
眠った人は、おとぎ話の中ではキスで目覚めるとかいうが。
やっぱりそんなロマンチックなことは、本当には存在しないらしい。
桐生から降り、看護婦を呼ぶブザーを鳴らす。
ドタバタと看護婦が走ってくる音が聞こえる中、ぽつりと聞こえた言葉に、私はやっと本当に安堵した。
「夢を見た。お前が迎えに来る夢を。俺がお前を・・・置いていくなんて、ありえないからな」
(じゃあ置いていきそうになるのもやめろ、と。いつもどおりの悪態を吐くのだ)
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