いらっしゃいませ!
名前変更所
俺がうかつだった。
馬鹿だ、こんな子供でも分かりそうな怪しい手に引っかかるなんて。
怪しいやつからお菓子をもらったから食べてしまった。
飴なんて貰うの久しぶりだったからさ、思わず食べちゃったわけなんだけど。
まさかこうなるとは、思いもしなかった。
・・・というより普通は思わないだろう。普通じゃありえないことだ。
(どうしようかなぁこれ・・・・)
悩む俺の姿がちらりと水たまりに映る。
その姿は人間ではなくーーー毛並みの綺麗な猫だった。
やはり、夢じゃない。
何度か目を瞑ってみても、俺の姿は変わらなかった。
焦りが心のなかに渦巻く。
だってどうすりゃいいんだこれ?
元に戻れるかが一番大事だが、俺に気付いてもらえるかも問題だ。
(・・・・)
気付いてもらえないまま、もし何日も経ってしまったら。
猫とはいえど中身は人間。
野良猫として、食べ物を確保できるかも危うい。
馬鹿なことするんじゃなかったと、俺は猫の姿のまま水たまりを蹴飛ばした。
前足、で。
「にゃあ」
喋ろうとしても、出る声は猫のそれ。
一気に不安が駆け抜けた俺は、道路に飛び出そうとして―――止めた。
身体の反応が、人間とはもう違う。
ちょっとした物音にびくっとしてしまうし、視界だって狭い。
この状態で道路なんて出歩いたら、どうなるか。
バイクや自転車に引かれたりもあるかもしれない。
「・・・・」
大人しく、するしかないのか?
でも大人しくしていてどうなる?
この姿になってから、もうだいぶ時間が経ってるんだ。
正直、体力も限界に近い。
「にゃあ」
何を呟いても、猫の言葉しか出ないのが腹ただしかった。
怒りをぶつけたい相手のところにすらいけない。
どうするか悩んだ挙句、俺は場所をあまり動かず行ける場所で待つことを選んだ。
このスカイファイナンスの近く・・・裏側にある、彼女のアジトの前で。
彼女はあまりアジトには帰ってこない。
それでも、俺はどこか信じていた。
(あけちゃん)
彼女なら、俺のことを探してくれる。
小さなキッカケで、俺とのつながりを気付いてくれる。
「にゃあ」
寒い、な。
今日はあけちゃんと遊ぶ予定だったんだけどなぁ。
アジトの扉になる壁の場所に擦り寄る。
人の気配を感じると無意識に警戒してしまう俺の精神は、限界に近づいていた。
苦しい。
いつもとは違う感覚とは、こんなものなのか。
「・・・・ったく、どこにいったんだよあいつは」
耳の良いこの身体は、小さく聞こえた声に強く反応した。
心から求めていた彼女の声に、俺はやっと警戒心なく人間の前に出ることが出来た。
にゃあ、と鳴きながら出れば、俺を見た彼女がびっくりした表情を浮かべる。
そして優しげな笑みで俺の方を向くと、俺の頭に手を当ててゆっくりと撫でた。
「可愛いなぁ・・・」
優しげな笑みに、潰れかけていた心が戻されていくのを感じる。
撫でられた頭がすごく心地よくて。
あまり見ることの出来ないあけちゃんの優しい笑みに、猫でもいいか、なんて思えるほど。
「にゃあ」
「ごめんな、今私、人探ししてて忙しいんだ」
優しい笑みから、悲しげな表情に切り替わる。
その真剣な表情がもしかして俺のためなんじゃないかって思うと、失礼な話・・・ドキドキするのを感じた。
彼女のこんな表情は、たとえ俺の目の前でも見れないだろう。
強がりな彼女が、そんな表情を見せてくれるはずがないから。
猫という立場で見る、彼女の表情。
でも今はさすがにそんなこと言ってる場合じゃない。
「にゃあ!!」
「うわっ!?だから、今それどころじゃ・・・っ」
猫になった際、俺は荷物も服もスカイファイナンスの下に隠していた。
しょうがない。猫になってしまった以上、人間のそれは邪魔だったから。
でもなぜか、これだけは持っていた。
お守りのように隠し持っていた、あけちゃんのアジトの―――合鍵。
俺はそれを首元につけていたのを思い出し、あけに見せつけた。
それを見たあけちゃんの表情が、一瞬で変わっていく。
「お前、それ・・・・」
驚いた表情をすぐに切り替え、あけちゃんは俺を素早く抱きかかえた。
そのまま慣れた手つきでアジトの鍵穴を開き、扉を開いて中に入る。
あけちゃんの腕の中は、とても暖かい。
抱きしめられているというより抱き込まれてる感じに近いこの状況は、なぜかとても落ち着いた。
「お前、秋山の猫なのか?」
「にゃぁぁあ!」
俺の名前が出た瞬間、俺は強く鳴き声を上げる。
気付いてくれる、きっと。
あけちゃんなら。
「んー・・・」
「にゃあ」
「ううーん。何か言いたいのは伝わるんだけど、ネコ語なんてわからねぇよ・・・」
困った表情を浮かべながら、それでも俺を撫で続けてくれる。
でもこれ以上、俺に自分自身のことを伝える手段は残っていなかった。
どうすれば、いいんだ?
気付いてもらえなかったらどうなる?
「ごめんな、ネコちゃん。私いまちょっとやることがあんだよ。人探ししててさ」
人探し。
「秋山のネコじゃ・・・ないんだもんな?」
いや、あけちゃんは俺を探してくれてる。
こんなところで諦めちゃ、逆に失礼だ。
俺はあけちゃんを信じることにして、派手な行動を取ることにした。
あけちゃんの腕から抜け出し、いつものように勢い良くベッドに飛び乗る。
いつもの、俺の行動。
俺はいっつもあけちゃんの香りがするこのベッドが大好きで・・・必ず、最初はここに歩いて座ったり飛び乗ったりしてる。
ほら、気付いてあけちゃん!
そう言わんばかりにベッドの上であけちゃんの方を向いた俺は、あけちゃんの表情に動けなくなった。
「ったく・・・・」
呆れ顔の中に映る、寂しさ。
あんな顔―――見たことなかった。
泣きそうだけど、それを堪えるような。
いつもは強がってるから見れないんだけど。
俺が猫だから、隠そうともしていない。
泣きそうな目。
崩れそうな、笑み。
「にゃ・・・」
その表情に囚われ、呆然としていた俺に降りてきたのは口づけ。
「・・・・!?」
ただの、口づけ。
確かにあけちゃんは俺に口づけを落とした。
なんにも、それ以外にはしてない。
なのに俺の身体は謎の光の放ち、猫のあの不思議な感覚から開放されていくのを感じた。
目を開ければ、呆然としてるあけちゃんの顔。
自分の手が人としての手であることを確認した俺は、あけちゃんの上に覆いかぶさりながら苦笑いを浮かべた。
「おい」
低い声が俺の鼓膜をびくりと震わせる。
怒ってるのはわかる、でもなんて言えば良い?
考えぬいた末、俺はいつものように口を開いた。
「・・・・いやー、キスで元に戻るなんて、まるでお伽話だと思わないかい?」
「おい」
「素敵だったでしょ?」
「おいこら。何無視してんだ」
「いだだだだっ!!」
あけちゃんに手加減のない力で引っ張られ、俺はすぐさま降参と手を挙げる。
「い、いやさ、なんか裏路地にいったら、白衣の変な人にお菓子もらってさ」
「変な白衣・・・?」
「そうそう。久しぶりにお菓子なんてもらったから食べちゃったんだよ」
「そしたらこれか。おまえ、知らない人からモノ貰うなって子供のころ習わなかったのか?あ?」
そう、なんだけどさ。
何も言い返せなかった俺は、しばらくあけちゃんの様子を見てから顔を覗きこんだ。
「あけちゃん?」
あ、この顔。
さっきは真っ直ぐ見せてくれた泣きそうな表情が、強がりの表情に変わってる。
でも、瞳の揺らぎは隠せない。
噛み締められた唇も。
「お、怒ってる?」
「当たり前だろ。お前がいなくなって1日以上だぞ、1日以上」
「・・・・心配してくれたの?」
「・・・・はぁ」
あけちゃんからのため息に、思わずベッドの上にちょこんと座ってしまう。
それを見たあけちゃんが呆れ顔で笑い、俺の手を握りしめた。
俺の手をまじまじと見つめながら触れていた手が、徐々に俺の腰に回る。
そんな可愛らしい行動に心臓が跳ね上がるのを感じて、俺もあけちゃんの腰に手を回した。
その瞬間、なぜか俺から離れようとするのを感じて腕に力を込める。
たぶん俺が裸なのを思い出したのだろう。でも、離すわけ無いよね?
こんな、可愛いことされたのに。
「・・・おいこら変態。はなせ」
「やだよ、久しぶりに触れられたんだからさ」
「たった1日だろ」
「その1日で寂しがってたのは誰だっけ?」
「・・・ぶっ飛ばすぞ」
「やだなー、そんな恥ずかしがらないで、ね?そんな姿見られたの初めてだよ」
「触るな」
「やだー」
「離れろ変態」
「だーめ、ほら、こっちむいて」
「離れ・・・っ」
耐え切れなくて唇を塞いだ。
もちろん、俺の唇で。
甘い吐息がもれるのを聞きながら、俺はただただ貪り続けた。
襲うようなことはしない。
ただあけちゃんの温もりが感じたかった。
本当に、それだけ。
どうやら俺も、だいぶあけちゃん中毒みたいだ。
「っは・・・ったく、調子のんな!」
「ごめん・・・まだ足りないんだけど、ちょうだい?」
「・・・・私をからかっといて、それかよ」
「あけちゃん」
「あー、はいはい。でも終わったら・・・説教だからな」
厳しいこと言いながら、しっかり俺の口づけに応えてくれるあけちゃんを、俺はしっかりと腕の中に抱きしめた。
不安の中で、唯一彼女だけを思い続けた
(君は俺の魔法を解く”王子様”―――いや、”お姫様”だったんだね)
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