いらっしゃいませ!
名前変更所
「行くな」
立ち上がろうとしたあけの手を、俺は即座に掴んだ。
今俺の目の前から居なくなったら、もう二度と戻ってこないような気がした。
ただの気のせいだ。飲み物を取ってくるだけ。
分かっていたのに俺の身体は勝手に動き、あけの手を掴み続けていた。
俺が信じた者は、皆偽りだった。
金や権力に動かされ、惑わされ、俺に着いてきた奴らだけ。
そして皆、俺の前から・・・いつかは居なくなった。
せっかく見つけたんだ。
大吾さんと同じように、信じられるかもしれない人を。
失いたくない。
この心地よさを、手放したくない。
「・・・・峯・・・?」
「離れないでくれ」
「どうしたんだよ・・・」
「お前も、俺から離れていってしまうのか?・・・・補佐という仕事が終われば、俺から」
一度曝け出してしまった心は、水のように溢れだして。
「俺が信じた奴は皆、いなくなっちまった・・・お前も、いなくなるのか?」
「大げさだな。飲み物取りに行くだけなのに・・・・」
「・・・・・・」
「・・・んー。補佐、ね。確かに最初はただの補佐だったんだけど、さ」
私にも女っぽいところはあるんだ、と。
あけは恥ずかしそうにしながら、俺から目を逸らした。
その言葉の意味を理解できなかった俺は、言葉の意味を聞き返す。
「では、今はただの補佐じゃないと?」
「っ・・・そういう言い方すんなよ。あんまりこういうのは、得意じゃねぇんだ・・・その、恋愛、とかは・・・・」
赤く染まった頬に、”恋愛”という単語。
さすがの俺でも意味が分かり、そして分かるのと同時に心が満たされるのを感じた。
―――愛しい。
これが、この心地よさが愛だというのなら。
俺は目をそらしたままのあけの頬に手を添え、ゆっくりとこちら側を向かせた。
「・・・・っ」
「お前のそんな表情は・・・珍しいな」
「か、からかうつもりかっ!性格悪いぜ・・・こっちは叶わない恋だと分かってしてる純粋な乙女だってのによ」
自傷気味な笑み。
俺はそんなあけを、そっと撫でた。
「・・・叶わない、か?」
「私はお前の言う女みたいに、媚びうるのも苦手だ。どっちかってとお前は私のことが苦手なんじゃねぇのか?でも私は、お前と話してる時間が・・・その」
頬に添えていた手を、唇に持っていく。
言葉を遮るように唇をなぞれば、あけはカッと頬を染めた。
ここから先は、俺が言うべきだ。
「あけ」
普段、あまりあけを名前で呼んだことがない。
そのせいか、名前を呼ばれたあけは恥ずかしさより驚きを露わにする。
「み、ね?」
「あけ。・・・・どこにも、行かないでくれ」
「・・・・聞いてた?だから私は・・・」
「俺もお前を手放したくない。だから俺の傍にいてくれ」
あけの表情は本当にコロコロ変わるな。
俺の言葉を聞いて意味を理解したのか、真っ赤だった頬が更に赤く染まった。
「え、や、あの」
「・・・どうした?お前から言ったことだ」
「あ、う、うん・・・でも、なんかその、そういうの、想像できねぇなって・・・・」
「・・・・確かに、そうだな」
今までいがみ合ってた関係。
それが急に変わるのだ。戸惑わないわけがない。
俺はそれなりに金で女を買って来た。
だがあけの表情や言葉を見る限り、俺よりももっと恋愛に疎いようだ。
・・・加虐心が、煽られる。
自分の理性を何とか保ちながら、掴んでいたあけの手を引っ張り、寝ていたベッドへと引き込んだ。
「なっ・・・!?ま、まてっ!たんま!!!」
「暴れるな。・・・・お前が想像出来ないというから」
”教えてあげようとしてるんですよ?”
意地悪く笑い、耳元で囁やけば彼女の身体がびくんと跳ねた。
少しの間暴れていたが、俺の力に観念して段々と大人しくなる。
その隙をついて、俺はあけの唇を塞いだ。
「っ!」
欲を吐き出すための口づけじゃなく、満たすための口づけ。
買った女とする口づけや行為とは何かが違う。同じ、女なのに。
口づけを深めれば、くぐもったあけの声が響く。
それを全て飲み込むように唇を貪ると、あけが抵抗の意味を込めてか俺の胸を叩いた。
そんなことをされても、逃しはしない。
もっと欲しい。もっとあけが俺に翻弄される姿を見たい。
俺のものに。
もっと、もっと。
「んっ、んん・・・・っ!!!」
じたばたと暴れ始めたあけを見て、俺はようやく唇を離した。
といっても、少しだけ。
またすぐにキス出来る位置で、あけを見下ろす。
「初々しい反応だな」
「っせ・・・わるいかよ・・・ほとんど、初めてなんだからよ・・・・」
余裕のない表情。
純粋に理性を壊す、言葉。
「・・・・あまり、煽るようなことを言わないでくれ」
俺の理性が、消し飛びそうになる。
「・・・っみ、峯もそんな、余裕のない表情するんだな。可愛いじゃん?」
俺の表情を見て少し余裕を取り戻したのか、あけがからかうように笑った。
理性を保つことで精一杯だった俺は、その言葉に牙を向く。
「どうやら、手加減は必要ないみたいだ」
「え?あ、や、ちょっ・・・・!」
唇から少し下へ。
頬に口付け、次に首筋。
そこからもっと下って、鎖骨。
一つ一つわざとらしく音を立てて口付ければ、あけが涙目で俺を睨む。
「っ・・・ば、か。初めてっていってんだから、手加減しろ・・・・」
「これでも十分手加減してるんですがね」
「け、敬語やめろ・・・!!余裕見せられてるみたいで腹立つ・・・・っ」
「そうですか?なら敬語にしましょうか」
「て、てめ・・・っ」
この会話が、心地良い。
馬鹿みたいな言い合いが楽しいと感じる。
意味のないものに時間をかける価値などないと思っていた俺は、どこへいったのだろうか。
「・・・・貴方のそういうところが好きですよ」
「う・・・ど、どういう、ところだよ・・・わかんないぜ?」
「全部、といえばいいですか?その馬鹿みたいなところも、全部」
「・・・・腹立つ。私もそういう、峯のところ・・・好き、だけど・・・」
ああ、本当に。
「・・・・そんなに俺の、余裕の無い所がみたいのですか?」
「へ?な、なんで・・・・」
「じゃあ、無意識ですか。その煽り方は・・・だいぶ危険だ」
愛しい。
俺に押し倒されたまま、ギャアギャア騒ぐあけの唇をもう一度塞いだ。
頑なに閉じようとしている唇をこじ開け、あけを味わうように舌を絡ませる。
「っは、も、峯・・・っ」
「まだだ」
・・・足りない。
まだ。まだ。
「待って、頼むっ、し、死ぬ・・・・!」
その夜、あけが俺の傍から離れることは許されなかった。
なぜなら俺が、逃さなかったから。
何度逃げようとしても。
「待ちませんよ」
「み、ね・・・・・」
捕まえる。
「逃げられるとでも?」
満たされるまで、ずっと。
あれからあけは、補佐としての仕事を終えた。
だがその期間を終えても、あけはずっと俺の傍に居た。
普段の会話はあまり変わらない。
お互いに気持ちを伝える前と、ほぼ同じ。
それでも俺は構わなかった。
俺の愛情を受け入れるときのあけは、違うと知っているから。
「・・・・あぁ、それじゃ」
部屋のソファで電話をしていたあけが、電話を切って机の上においた。
俺はそれを見計らい、静かにあけの後ろ側に立つ。
「電話は誰からだったんだ?」
「うおわ!?てめ、いきなり後ろに立つなよな!忍者か!!」
「・・・・あけが不用心なのがいけないんじゃないのか?」
「私が?なんで峯の部屋でそんな気張らなきゃいけねぇんだよ・・・・」
あけがふてくされたように俺の方を見上げた。
自然となる上目遣い。
ちらりと見える胸元。
かわいい唇。
目に入る全てが、仕事中にも関わらず俺を欲情させる。
「それで?」
「え?あ、あぁ・・・桐生だよ。なんか沖縄でゴタゴタがあったらしく、情報が欲しいって」
「・・・・」
「・・・?峯?」
いつの間に俺は、こんなに独占欲の強い人間になったのだろうか。
あけの口から紡がれた、他の男の名前が許せなかった。
どくり、と。心の奥から嫉妬心が溢れだす。
俺はそれを隠すこと無くあけの頬に手を添え、そのまま額に口付けた。
「んあ!?」
「・・・もっと可愛いらしい声は出せないのか、お前は」
「う、うるさいな・・・・突然するから・・・」
ずっと見上げていては首が痛いだろうと、俺はあけの隣に移動して腰掛けた。
ギシッとソファが軋むのを聞いて、何故か身体が熱を持つのを感じる。
はぁ、本当に、参ったな。
俺の方をじっと見つめるあけに、口づけを落とす。
「んっ・・・」
突然のこと。
そう怒る割には、抵抗など一切してこない。
「・・・ん、は・・・ばか。だから、突然すんな」
「なら、抵抗したらどうだ?お前なら抵抗出来るだろう?」
「・・・・させてくれないくせに」
俺から目を逸し、恥ずかしそうにぼそっと呟く。
そんな表情をされたら、俺は。
「お前が四代目と話してるのが悪い」
「ふぅーん?嫉妬?」
「・・・・だとしたら?」
「冗談だって。仕事上連絡とるなって言われたら難しいけど・・・あんまりしないようにするから、な?」
あけは良い女だ。
決して本人には言えないが、彼女を常に傍に置いていないと俺は落ち着かなくなっていた。
それほど、彼女が奪われるのが怖いのだ。
あけは自分を、ただの情報屋だという。
でも俺にとってあけは、不器用な俺を努力して受け入れようとしてくれる健気な女だった。
俺が理不尽な嫉妬をしても、こんな風に優しく返す。
俺はまたそれに甘えてしまう。
「・・・・あけ」
「峯」
「・・・・・」
「う、ばか、仕事中だぞ・・・」
手であけの腰元をなぞれば、それに気付いたあけが優しく俺の手を握った。
そんな力じゃ、俺を止められないと分かっているはずなのに。
「・・・・もうお昼だ。休憩時間、だろう?」
「いつもお昼なんかちゃんと取らないくせに!」
「そうだったか?」
「とぼけんな変態!」
「・・・・変態だというのなら、変態らしくした方がいいな」
あけの毒づきに反撃を加え、俺はその場にあけを押し倒した。
変態と言われてしまったからには仕方がない。
意地悪い笑みを浮かべてそう囁やけば、あけの身体がぴくりと跳ねた。
「せ、せめて、ベッドで・・・」
誰よりも男らしく、常に前線に居続ける女の、か弱い姿。
俺にしか見せないであろうその姿に、理性が切れかかるのを感じた。
「・・・・無理だ」
「っ・・・」
あけの身体がこわばっていく。
もう何度愛しあっただろうか。
なのに彼女はこの行為自体に慣れること無く、いつも表情を緊張の色に染める。
まぁ、無理もないか。
彼女自身、行為は本当に”俺が初めての相手”だった。
そのため、まだきちんと交わったことはない。
痛みに耐える彼女より、快楽に溺れる姿を見たいと。
俺は無理やりすることなく、いつも彼女だけを喜ばせていた。
「な、ぁ」
俺の手の動きに震えながら、あけが俺の手を握る。
「・・・そ、の・・・」
「なんだ?」
「無理・・・してない?あの、確かにその、痛いけど・・・毎回峯が、我慢するのも・・・なんか・・・・」
「痛いんだろう?・・・無理はさせたくない」
「で、でも・・・・」
やめてくれ、これ以上。
これ以上言われたら、俺は我慢できない。
「・・・・それ以上俺を煽るのはやめておけ。泣いてもやめれなくなる」
「・・・・」
少し、怯えた表情。
静かになったあけに満足した俺は、手の動きを再開しようとして―――
「いい、ぜ」
甘い声に、思考を奪われた。
驚いて手を止めれば、今まで以上に顔を真っ赤にしたあけが、俺の手を胸に導く。
「いい、から、峯も・・・気持ちよくなって、欲しい」
俺は無言で手を振り払い、驚くあけを抱きかかえた。
そのまま、事務所の隣にある自室へあけを運ぶ。
煽ったのはあけだ。
忠告もきかず、俺の理性を揺さぶったのも。
・・・本当に俺は、変わってしまったもんだな。
こんな一人の女に理性を、余裕を、削られてしまうなんて。
「覚悟は・・・できてるか?」
「う・・・」
「まぁ、もうあんなことを言った時点で逃す気はない。・・・・黙って抱かれてろ」
強い俺の言葉に、あけは震えながら笑みを返した。
怖いはずなのに、そうやって俺を受け入れてくれる貴方が。俺の全てを見てくれる貴方が
(「大好きですよ」)
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