いらっしゃいませ!
名前変更所
桐生一馬は、死んだ。
その事実を疑うものは多かった。
当たり前だ。あの桐生一馬がそう簡単に死ぬわけがない。
信じず、まだ会える日を楽しみにしている者。
真実がどうであれ、前に進むことを選んだ者。
どうであれ、世界は回っていく。
ただその回る軸が桐生を中心じゃなくなったってだけの話だ。
フィクサーの残党の管理下で暮らす日常は、何も変わらない。
死んだことになって、何もない人間として、契約違反にならない程度に日常を過ごす。
それでも桐生一馬のオーラは消えること無く、時折厄介事に巻き込まれ、それを相変わらずの龍の腕で黙らせる。
「・・・・・なぁ」
「・・・・ん?」
狭いアパート。
ぐつぐつと鍋が煮え立つ音を前に、私は振り返ること無く返事をする。
「・・・・なんで、お前は」
「・・・・」
「そこまで、出来るんだ」
“そこまで“
――――それが何を指すか、知っている。
桐生一馬が死んでから、私はフィクサーと契約を交わした。
私からの条件は桐生一馬との関わりに一切文句を言わないこと。
相手の条件はシンプルだった。
かわりに、フィクサーの監視下での情報屋として動くこと。
それさえ守れれば、桐生一馬とどう接しようが問題ないと言われた。
彼らも私が裏切らないことは知っていたから軽い条件だったのだ。
だって私は。
桐生一馬のことを。
「・・・・あんまそういうこと聞くなよ、恥ずかしいだろ」
「・・・・・」
本当に、愛してるんだ。
自分の人生を全て捨ててでもいいと思えるほどに。
最初出会った時は、面白い鴨と出会えたとしか思ってなかった。
こいつと一緒にいればきっと最高の情報に出会える。
ついでに風間のおじいちゃんの助けになるならそれでいいと、軽い気持ちで関わったことを、ある意味後悔している。
「お前に関わったのが、ある意味私の運命の終わりだったんだよ」
誰しもが、口を揃えて言う。
彼に関わったらその人間性に惚れてしまうと。
「お前に人生狂わされて、考え方も、感情も、ぐちゃぐちゃにされた」
「・・・・」
「その責任も負わずに死んだことにしようとしてるからよ。しつこく追いかけてきてやっただけだ」
桐生は、私にすら何も言わずに死んだことにするつもりだった。
そんなの私が許すわけがない。
情報屋として、一人の女として、桐生の死を信じなかった私の勝利だ。
今度こそ、桐生には責任を取ってもらわなければ。
「・・・・お前らしいな」
憎まれ口にも近い私の言葉に、桐生は苦笑する。
「分かってんなら諦めろよ。お前に逃げ場はないぜ、桐生」
「ったく、俺も厄介な女を好きになったもんだな」
「おいおい。分かっててずっと私を傍にいさせたんだろ?」
弱気な表情で言ってるわりには、と私は首を捻った。
本当に手放すつもりなら、最初から手放しておけば良かったんだ。
最初のあの時から。由美のかわりに私を捨てれば良かった。
由美の覚悟を見届ける必要なんてなかったんだ。それなのに。
それからも、アサガオを去る時に桐生は何故か私にだけその真実を告げた。
ついてくるかは任せると言いながら、それを口にすれば私がついてくることは知っていたはずだ。
「何もかも手のひらの上って感じでむかつくんだよなぁ」
乱暴に鍋を置き、座っていた桐生の顔を覗き込む。
「分かってて言ってんだろ?」
「かもな」
「ついてきてほしかったって素直に言えばいいだろ?」
「あぁ。・・・・ありがとな」
素直な礼と同時に顎を掴まれた。
抵抗する理由もなく目を瞑れば、予想した感触は来ない。
「?」
不思議に思って目を開けた私に、至近距離で止まる桐生が笑う。
「良かったのかもな、ある意味」
「あ?」
「お前が望んでたかは分からねぇが、俺はこうやってお前と“普通の夫婦“が出来ることを幸せに感じてるぜ」
優しい声でそう囁いた桐生が、私の額に口づけた。
桐生の言う通り、まるで普通の夫婦の時間。
それでも、私たちは普通とは違う。
死んだことになっている桐生は必然的に闇を歩く存在となり、それに協力する契約を交わした私もまた、闇を歩くことしか出来なくなった女だ。
元から、と言われればそれまで。
「・・・・そうだな、ある意味そっか」
今までと違うのは、“死んでいる“こと。
今まで生きているだけで色々な事件の中心になっていた桐生は、フィクサーによって管理されている。これからはそんな面倒事に巻き込まれたくても巻き込まれなくなることの方が多いだろう。なぜなら、死んでいるのだから。
「はは、確かに嬉しいかも」
「ん?どうした」
「だってもうお前は死んでるんだから、一生私のもんだもんな?」
桐生の頬に手を添え、顔を近づける。
「おいおい、お前がそういうこと言うの珍しいんじゃねぇのか?あけ」
「んだよ、悪いか?」
「・・・・いや、悪くないな」
嬉しそうに笑った桐生が私に口づけた。
啄むようにこそばゆい口づけが続き、思わず身を捩ればそれを咎めるように桐生の手が私の後頭部に回る。
「んぅ・・・!」
背筋が、ゾクゾクする。
舌が入ってくる感覚に身体から力が抜けていく。
「っは、ぁ」
「・・・・・・」
「え、おい、こら!?」
震える手を桐生の背中に回したあたりで、私の身体が床に倒された。
思わず抗議の意味で蹴り飛ばそうとすれば、その足ごと押さえ込まれる。
「ま、待て桐生」
ぎらぎらと獣のように輝く桐生の瞳が何を考えてるのか、分かってしまった。
逃げ出そうとする私の手をまとめて掴んで、床に縫い付ける桐生の手は、“本気“だ。
「桐生!」
「何だよ」
「な、鍋食ってからでよくない・・・?」
「お前が食いたい」
「っまて・・・・!」
「良いだろ?なぁ・・・・」
あぁ、その声は――――ずるい。
「あけ」
低く、掠れた声が私の名前を呼ぶ。
「鍋・・・・」
「後で温めてやるから」
「どこでスイッチ入ってんだよ・・・・」
「・・・・お前が可愛いことするのが悪いんだろ」
前までは苦手だったこの時間が、今は結構好きになりつつある。
世間的に死んだとされる彼が熱を持って、私に触れて、生きていると教えてくれる時間だから。
「あけ」
「っぁ、きりゅ・・・・」
低い声が、私を呼ぶ。
何度も、何度も。
「違うだろ・・・?」
「・・・・っ、一馬・・・」
「好きだ」
不謹慎にも、笑みが溢れる。
「・・・っ、何、笑ってんだ?」
「なんでも・・・ない」
「・・・まだ、余裕そうだな・・・!」
「っぁ、待って・・・!」
こんな最高の男を、誰にも取られず、自分の物にできることに。
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