いらっしゃいませ!
名前変更所
「暇ぁ」
船の上に響く、くろねこの情けない声。
項垂れる彼女は干からびそうになってサニー号の床に伸びていた。
そんなくろねこの隣で眠るゾロは、目を開けることもせずため息を吐く。
「っせぇぞ、寝ろ」
「鍛錬しないのー?」
「駄目だ」
「うー・・・」
珍しく夕方になっても刀を打ち付ける音が聞こえないことに気づいたチョッパーが、二人の様子を身に甲板へと顔を出した。
「くろねこ、ゾロ、ここにいたのか。音が聞こえないからいないのかと思ったぞ」
「ゾロが意地悪して鍛錬させてくれないの」
「休息はいいことだぞ。最近くろねこは頑張り過ぎだったから心配だったんだ」
「・・・・チョッパーは優しいなぁ。癒やしてー!」
癒やされようと床を這ってチョッパーに近づいたくろねこは、チョッパーの手元にある綺麗な液体に気づいて目を向けた。
揺れる、緑色の不気味な液体。
それを夕日に照らしながらまじまじと見つめているチョッパーを邪魔しないように話しかける。
「それ、なーに?」
「これか?へへ、聞いて驚くなよ~!!これ、新薬なんだ!」
「新薬?あ、もしかしてゾロの方向音痴治すくす、りッ!?」
人間から出てはいけないような音が響き、くろねこの頭が床に沈んだ。
攻撃した主は目も開けずに振り下ろした刀を横に戻す。
「だ、大丈夫か・・・?くろねこ・・・?」
「わりぃ、手が滑っちまった」
「この、暴力クソマリモが・・・・!」
「また手が滑っちまうかもなぁ・・・」
「・・・・で、何の薬なの?」
殺気立つゾロに、くろねこは話を誤魔化した。
再度尋ねられたチョッパーは誇らしげに瓶を翳す。
「これ、すごいんだぞ!名前は・・・そうだな、“自白剤“って言えばいいのかな」
「じはくざい?」
「思考能力を低下させて、偽ったり嘘を吐いたりすることを出来なくする薬なんだ。まだ実験中だから完全なものじゃないんだけど・・・・」
「へぇー!なにそれ!面白そう~!!」
「・・・・飲んでみるか?一本余ってるぞ。試作品だから、解毒は一日後だから気をつけてくれ」
くろねこの手に乗せられる、怪しい小瓶。
目を輝かせたくろねこは、チョッパーにお礼を言いながら勢いよくゾロの方を振り返った。
嫌な予感がしていたゾロは目を開けてくろねこを威嚇するように刀を構える。
「やだなぁ、寝ててくれていいんだよぉゾロくん!」
「てめェそれどうするつもりだ?あ?」
「いやぁ、いっつも素直じゃないゾロくんを素直にしてあげようと・・・・」
「そりゃおめーだろ。お前が飲んだらどうだ?」
チョッパーからすれば、どっちもどっちな言い争い。
ゾロににじり寄ったくろねこは、瓶の蓋を開ける素振りを見せながら大胆にもゾロに覆いかぶさる。
「退け」
「まぁまぁ、一杯どうよ?」
「酒じゃねェんだぞ」
「ちぇっ・・・遊んでやろうと思ったのにぃ。しょうがないな、今夜の酒にでも混ぜとくか」
「おいコラてめェ!」
「うぎゃ!!」
くろねこの何とも危険な発言を聞いたゾロが、勢いよく立ち上がった。
薬に伸びてくる手に気づき、慌てて死守したのも束の間。
形勢逆転とばかりにゾロがくろねこを押し倒した。
勢いよく押し倒してきたにも関わらず、背中が地面にぶつからないように手を挟み込んでくる優しさが憎らしい。
それでも、その優しさに免じて大人しくするという選択肢はくろねこにはなかった。
大きく息を吸い込み、瓶を奪い取ろうとするゾロに向かって叫ぶ。
「わー!!変態!!こんなところで押し倒すなんて!!」
「はァ!?てめェが危ねぇこと口にすっからだろうが!さっさとそれよこしやがれ!」
「やーだー!!これは私がチョッパーから貰ったの!!」
「てめェが持ってると安心して酒が飲めねぇだろうが!」
ぎゃーぎゃーと言い争う声はいつものこと。
誰も見に来ないあたり、慣れっこなのだろうとチョッパーは苦笑する。
「分かった分かった、じゃあいつもの鍛錬で決めよ!」
「あ?今日は休めっつっただろ」
「・・・・飲まされるのが怖いんだ?」
「・・・・・・・」
逆光で良く見えなかったが、それでもゾロが恐ろしい笑みを浮かべたのだけは分かった。
冗談、と口にするよりも前にゾロがくろねこから瓶を奪い取り、それを強制的にくろねこの口に突っ込む。
「んんんん!!?」
「ぎゃーー!!ゾロ!!何してんだ!?」
「お前が試したくて譲ってもらったんだろ?遠慮せず飲めよ、なぁ?」
喉を通る、薬の味。
どろりとした感触にくろねこは思わず顔を顰める。
薬とは本来そういうものなのだろうが、美味しくはない。
「・・・・・」
空っぽになった瓶が、チョッパーの足元に転がされる。
心配そうにしながらも薬の効果が気になるらしいチョッパーは、転がった瓶に見向きもせずくろねこの顔を覗き込んだ。
「だ、大丈夫か・・・?」
「うん、大丈夫」
色づいた頬。
潤んだ瞳。
どこか、お酒を飲んだ時のような症状に似ているくろねこの表情を、チョッパーは紙を取り出してメモっていく。
「脈とってもいいか?」
「どうぞどうぞ」
「・・・・異常はないな。想定通りの効果だ」
「何だか酔っ払ってるみてェだな」
「症状としてはそれに近いはずだ。ほら・・・・ゾロには分かんないかもしれないけど、酔ってる時ってのは思考回路が落ちて、余計なことを口にしたりとか・・・・・」
酒豪のゾロにはいまいちピンときていないらしい。
チョッパーはある程度くろねこの体調を健診すると、異常なしと判断して手を離した。
自由になったくろねこがふらふらとしながらゾロを睨みつける。
「ゾロ、アンタ、なんてこと・・・!」
「うまかったか?」
「苦かった」
「薬だしな。・・・・でもそこまで大きな変化はなさそうだな?」
「自白剤といっても、思考回路を落とすだけのものだからな。質問とかすると思考が落ちて効果が分かりやすいと思うぞ」
その言葉に、船の縁に身体を預けたゾロが、楽しそうに笑う。
「へェ・・・?」
「すんごい悪い顔してるんだけど・・・?」
「くろねこ、こっちこいよ」
嫌な顔をしつつも、考える暇なく身体が動き出すことに気づいてくろねこは目を見開いた。
思考回路が溶けていく感覚。
考えるよりも先に、身体が動く。
まるで戦闘状態にも近いその状態を押さえることも出来ず、くろねこは大人しくゾロの隣に腰掛けた。
「ほぉ・・・・」
「・・・うわ、なんかすごい違和感。考えれそうなのに、頭にもやがかかって・・・考えるよりも先に身体が動く感じ。戦闘状態にも近いかも・・・・」
気持ち悪いと顔を歪めるくろねこを無視して、ゾロがチョッパーに聞こえぬよう囁く。
「昨日は善かったか?」
何が、とは言われなくても分かる内容。
ふざけたことを聞くな!と叫びたくなっている身体を無視して溶けた思考が素直な返事を返す。
「うん・・・・って何聞いてくれてんのッ!?」
「へぇ?こりゃ面白ぇ」
「ッ・・・・!」
―――――このままだと、遊ばれる!!
そう気づいたくろねこが立ち上がり、ゾロから離れようと方向転換した。
だが、こんなに面白い状況、ゾロが逃すわけもない。
「くろねこ、俺の隣にいるのが嫌か?」
「嫌なわけない、好きだよ」
最初の数秒は素直な表情に。
それから思考が回ってくるのか、真っ赤になって怒りの表情に変わる。
普段からコロコロ変わる表情ではあるが、その様子が間抜けで吹き出してしまったゾロは、立ち上がってくろねこの腕を引っ張った。
「飯までトレーニング室でも行こうぜ」
「~~~~ッ、楽しんでるでしょ!?」
「楽しむ以外にどーすんだよ?それとも何だ?俺とトレーニングするのは嫌ってか?」
「嬉しいよ、楽しいし・・・・いや嬉しいけどッ!」
肩を組まれながらトレーニング室に連れ込まれたくろねこは、ゾロの方を見ないように壁に項垂れる。
そんなことをしても、耳まで赤いためまったく意味を成していないのだが。
あえて何も言わずくろねこの隣に座ったゾロが、その真っ赤な耳元に唇を寄せた。
「くろねこ」
「ッ、ちか、近い!」
「・・・・嫌か?」
「嫌じゃないって何度言わせ・・・っ!」
振り返ったことを後悔をしたのは、一瞬。
「・・・・くろねこ」
「・・・・」
「俺が何求めてるか、分かるか?」
「分かる」
「それじゃ、してくれよ」
いつもなら、「なんで私が!」などと叫びながら、頬に口づけるくろねこだが、今日は薬の効果もあり大人しくゾロの唇に自分の唇を重ねた。
しかも、触れるだけじゃない。
何度か角度を変えて、味わうように口づける。
口づけが終わった後、ハッとしたように目を見開いたくろねこがゾロを思いっきり突き飛ばした。
「っ~~~~~」
「へぇ?本当はそういうことしたかったんだなァ、お前」
「・・・・・っさいな」
目線を逸らす、小さな抵抗。
意味のない行動だということはくろねこも分かっているらしい。
「どーすんのさ、こんな状態で御飯食べに行くの・・・?」
「いいんじゃねェのか?お前、別に俺以外にはツンケンしてねーだろ」
「別にゾロにもしてないよ」
「嘘つけ。食って掛かるじゃねーか」
「食ってかかってるんじゃなくて、恥ずかしいだけで・・・・あとちょっと言い合うのも楽しいというか・・・・」
当たり前のように言い放ったくろねこは、数秒後自分の言葉に気づいて固まった。
「・・・・そうかよ」
ゾロもその言葉には気づいたらしい。
からかうこと無く嬉しそうに柔らかく微笑む彼と目が合い、くろねこは思わずゾロに抱きついた。
「うお!?」
「・・・・・」
「・・・・いつもこんぐらい素直でもいいもんだがなァ」
「そんなの望んでないくせに」
ゾロは自由だ。
何にも縛られず、誰にも命令されず。
自分の野望のために生きる。
その野望の先にあるものならプライドを捨ててでも食らいつき、誰よりも仲間の事を想う。
そんな彼の夢は世界一の大剣豪。
その夢を遮るような、邪魔なものは必要ない。
「・・・・ま、たしかにな」
ゾロは、くろねこの本心を見抜いている。
本当はきちんと“女性らしい“考えがあることも。
甘えたがりなところがあるところも。
それでも彼女自身は何も言わない。何も強請らない。
ゾロが不安にすら感じるほどに、彼女は彼の邪魔をしない。
くろねこ自身、そういったものに流されるタイプではない。
だから信用出来る。
だから、傍にいて心地が良い。
悪い言葉を使えば、都合の良い存在。
ほしい時にいて、求めた時に心を埋めてくれる。
「・・・・なァ」
「ん?」
「俺のこと、好きか?」
「もちろん」
そんなこと聞くなんて珍しい。
その言葉よりも先に出てくる答え。
「・・・・物好きなやつ」
「そっちこそ」
「あァ?」
「可愛い子ならいっぱいいて、ゾロなら選び放題なのに。わざわざこんな私を選ぶなんて物好き以外の何が・・・・」
隠すことのない、本音。
「私なんて、あるのは・・・・」
震える手が刀に伸びる。
くろねこは、女というものをあまり知らない。
生まれながらにして得たのは欲しくもなかった力と、刀の知識。
そして傷だらけの身体。
醜い運命。
「そうか?お前はいい女だろ」
ゾロが優しい表情でくろねこの頬を撫でる。
「お前はその運命を押しのけるだけの強さがある。その強さは、俺がお前に惚れたきっかけだ」
何があってもいつも笑っていて。
義賊だから、とは言ってはいるが、心の底から人を心配し、人に愛される力がある。
確かに他の女性のような可愛らしさがあるわけではない。
中性的で、どちらかといえば男らしい部分も多い。
スタイルだって筋肉質で、女性らしいフォルムなわけでもない。
―――――それでも。
「俺はお前にしか、こういうことをしたいとは思わねェよ」
頬を撫でていた手が、背中をつつつとなぞる。
「俺はお前の見た目や女の部分に惚れたわけじゃねぇ。“お前“っつー人間に惚れたんだ」
彼らしい言葉にくろねこは顔を思いっきりゾロの胸板に押し付けた。
「・・・・なんだよ」
「ずるい」
「あ・・・?」
「・・・・ずるい」
顔を上げたくろねこの表情は、見たこと無いほど熱に浮かされていた。
甘い息を吐きながら、くろねこが悔しげに唇を噛む。
「・・・・っ」
ゾロの胸元が軽く押された。
ゾロはそれに従い、ゆっくりと後ろに倒れる。
倒れた身体に覆いかぶさるくろねこは、見ているだけでぞくりとするような瞳をしていた。
「どうした?」
「欲しくなった」
「何をだ?」
「ゾロを・・・・」
始めてに近い、くろねこからのお強請り。
これも、薬の影響なのだろうか。
本当なら素直に受け取るところだが、意地悪く笑ったゾロはくろねこの腕を掴んで止めた。
「そろそろ飯だぜ」
「・・・・ゾロ」
「飯、食ってからな」
「・・・・分かった」
熱に浮かされた瞳を見るのは最高に心地が良い。
満たされる支配欲に歪んだ愛を感じながらも、ゾロはくろねこをあやすように撫でた。
◆◆◆
にっこにこと。
楽しそうなナミに顔を掴まれながらもぐもぐと食べているくろねこの表情は、硬い。
「くろねこー?」
「・・・・・・」
「面白いもの飲んだって聞いたわよぉ?」
「・・・・・・」
意地でも口を開かない意志を見せるくろねこに、ナミがにんまりと笑う。
「・・・何飲んだの?」
「“自白剤“・・・」
飲んだものが飲んだものなだけに、誤魔化すことも出来ない。
押さえようとしても素直に開いてしまう口が答えた言葉に、ロビンが妖しく笑う。
「ふふ。何質問しちゃおうかしら?」
「・・・・ロビンまで楽しまないでよ!?」
ロビンからの意地悪な発言にくろねこの表情が引き攣った。
それを吹き飛ばす勢いで視界に飛び込んできたサンジが、くろねこに全力で尋ねる。
「くろねこちゅわぁ~~~ん!!俺のことどう思ってる!?」
普段なら普通に大切な仲間と答えて終わる質問。
だが今のくろねこの口から出てくるのは、本心。
「大好きだよ、サンジ」
「ぎゃー!!サンジが鼻血出して倒れたーー!!医者ーーー!!!」
「別にナミのこともロビンのことも、皆のことも大好きだし・・・・」
「・・・・・アンタ、やっぱルフィに似てるわね」
本心でそれを言えるのはすごいと、ナミが呆れ顔で呟く。
その顔に、言いたくて言ったわけじゃない!と言い訳するくろねこは、それが言い訳になっていないことに気づいていない。
「なぁなぁ、俺のことも好きか?」
「もちろん。ルフィのことも大好きだよ」
「ししししっ!俺もくろねこのこと大好きだぞ!」
ルフィの素直さに更にやられたらしいくろねこは、抵抗することを諦めて肉を頬張った。
「あの・・・くろねこさん、私のことも・・・・」
「好きに決まってるでしょ、ブルック」
「俺のこともか!?」
「フランキー。アンタのナイスなボディ、すごく好きだよ」
「俺も俺も!」
「チョッパーも大好きに決まってる。大切な仲間なんだから」
くろねこの普段の態度を見れば、そんなことは分かることだ。
それでもかつては仲間を信じれず、仲間となっても裏切り裏切られる関係を生きてきたくろねことロビンは、仲間に対して複雑な感情を抱いている可能性がある――――というのは、どうしても誰もが不安に思ってしまう部分であった。
そんな彼女が、純粋に、まっすぐに、仲間を大好きと告げてくれている。
鼻血に沈みながら気絶しているサンジはともかく、それ以外の皆はその真実を聞いて幸せそうにくろねこを見ていた。
「・・・・今日は、もう、ごちそうさま」
その視線に居心地の悪さを感じたらしいくろねこが、急ぎ足で立ち上がる。
「その辺にしてやれよ」
「あら、一番楽しんでるのは貴方じゃないのかしら?ゾロ」
からかう皆を止めようと口を開いたゾロに対し、もっともなツッコミを入れたのはロビンだった。
「・・・・何のことだ?」
「ふふっ、なんでも無いわ」
意味ありげな視線。
視線の意味に気づいているゾロは、気に食わなさそうに舌打ちした。
「~~~~ッ、覚えてろよぉ・・・・!」
その光景を見ていたくろねこがまるで負け犬のような台詞を吐いて部屋を出ていく。
「待ってくれ、くろねこちゃん・・・もっと俺に、さっきの言葉を・・・・」
「動くなサンジ!!血が足りてないんだぞ!!」
相変わらずなサンジを見下ろしながら、皆は顔を見合わせて幸せそうに笑った。
どんな形であれ、仲間の本心を聞けたことは幸せなことだ。
「なんだぁ?くろねこの分の肉、食っても良いか?」
「・・・・えぇ、良いと思うわ。あの様子じゃ戻ってこないだろうし」
ナミはひっそりと抜け出すゾロの背中を見送りながら、楽しそうにそう呟いた。
四戦目、休戦
(薬の力を借りたとはいえ、本心を口にできたことに少し喜びを感じていたとはいえない!)
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