いらっしゃいませ!
名前変更所
ふわり、ふわり。
甘い香りが漂う空間にシャボン玉が漂う。
ナミが提供してくれたお風呂で汗を流していたくろねこは、その気持ちよさと懐かしさにうっとりとしていた。特に入浴剤があると気持ちが変わる。鼻を支配する石鹸の香り。もうこれだけで幸せだ。
思わず一人でにっこりと笑っていたくろねこは、手にすくった水を自分に浴びせながらお風呂場の入り口に視線を向けた。
最強のしあわせぱんち
「そこにいるの、だれ?」
近づいてくる気配を察知したくろねこは、入り口に向かって声を掛けた。
声掛けによって動いた気配が入り口のぎりぎりまで近づいてくる。その気配は入り口に顔を出すこと無く止まると、ふーと静かに息を吐く音と共にくろねこに返事を返した。
「バレちゃったか」
「サンジ?もしかして、覗き?」
「いやぁ、さすがにくろねこちゃんには無理だって分かってるよ。現にここに近づいただけで気づかれちゃったしね。今回は、お風呂のお供をお渡ししたいなと思って来たんだよ」
「お風呂のお供?」
湯気に混じって白い煙が入り口から漂ってくる。
甘い香りに混ざる煙草の苦い香り。
サンジの言葉に首を傾げたくろねこは、興味津々にお風呂から身を乗り出した。
「そう!お風呂といえば冷たいものだろ?そこでこのサンジ、くろねこちゃんに楽しんでもらおうとつめたーくて美味しいフローズンジュースをご用意しました」
「え!ほんとー!?欲しい欲しい!」
「ふっ・・・それじゃあ、お邪魔してもいいかい?」
「え、あ、ちょっとまってね。・・・・よし、おっけー!」
「よっしゃぁ!!お邪魔しまぁ~~~す!!!!」
邪な考えを見抜けなかったわけではないが、温かいお風呂で飲む美味しくて冷たいジュースの誘惑に勝てなかったくろねこは、きちんとお湯に沈んだ状態でサンジを呼び込んだ。
鼻血を垂らしながらも丁寧にジュースを差し出してくるサンジは、さすがというべき何というか。
その後ろでモコモコのアフロが、ずるいですよ!!!と叫んでいるのが聞こえてくるが、くろねこはそれを無視してジュースに口をつけた。流れ込んでくるほろ苦い味は、ビターチョコをベースにしたフローズンチョコのようだ。
「ん~~~!!!美味しい~~~!!!」
「本当かい?嬉しいねぇ・・・俺も、いただいていいかな?」
「いいよ、乾杯する?」
「あぁ、乾杯」
色のついたお風呂の中にいれば、体を見られることはない。
特に警戒なくグラスを打ち付けあって飲み干した数秒後、サンジが座れる場所がないことに気がついたくろねこは、数秒前の警戒心はどこへ状態で堂々とお湯から立ち上がった。
突然のことにサンジはあんぐりと口を開けている。
色々と大事な部分はタオルで隠しているとはいえ、見えるものは見える。
ナミたちと比べて異常なほど引き締まった筋肉質な体。
鍛錬で少し色づき、傷ついた肌。
思った以上に、豊満な胸。
ごくりと唾を飲む音が二つ聞こえてくるのも気にせず大きなバスタオルを取り出したくろねこは、湯船の縁にそれを置いた。ここに座りなよと促す視線に、サンジは彼女の警戒心の無さに眼福へのありがたみとゾロへの苦労を同時に抱いた。
「ここ、どうぞ」
「くろねこちゃんにこんなに気遣われるなんて、俺ァ本当に幸せ者だぁ・・・・」
「大げさだなぁ」
ケラケラと笑いながら再度お湯に沈んだくろねこが、いたずらっぽく囁く。
「ごめんねぇ、ナミじゃなくて」
「?なんでだい?」
「だってほら、ナミのボディは幸せボディじゃん。あれは私から見ても眼福だもんなぁ。あとロビンもお姉さまボディで・・・・」
「・・・・くろねこちゃんも、十分魅力的だと思うんだけど?」
鼻血を垂らしているのが証拠さ、とも言えず少しだけ真剣な声色にしてみせたサンジは、くろねこの表情が一瞬曇ったのを見逃さなかった。
その表情の原因に紐づくのはあの緑頭。
くろねこの幼なじみ兼恋人――――悔しいが、サンジにとって思い当たる人間はその男しかいなかった。グラスを割る勢いでギリギリと掴みながら怒りの表情を浮かべる。
「まさかあのクソマリモ、くろねこちゃんに失礼なことをっ・・・!?」
「え?あ、あぁ、違うよ。一般的にはそうなんじゃないかなって思っただけで」
「俺はレディに嘘を吐くことは絶対にしないよ。・・・・くろねこちゃんは本当に綺麗だ。顔だけじゃない、その引き締まった体!豊満なボディ!傷だってくろねこちゃんの剣士としての時間を作り上げてきた証じゃないか」
サンジはくろねこの手を取ると、キザにもその手の甲に軽くちゅっと口づけた。
さすがにそれは優しすぎるとくろねこは笑う。鏡に映る自分の顔がそこまで可愛くないことは知っていた。ナミやロビンに比べたら、幼い頃に男の子に間違われた面影は未だ残っている。酷くはないと信じたいが、可愛くも美しくもない。言えば“普通“。
別にそれでもゾロが受け入れてくれているから問題ない。
だが、ふとした瞬間にそれを悲しく思うこともあるのだ。剣に生きた人間が女を自覚した弊害だろう。
「ほんと、ナミもロビンも最強に綺麗なんだからさぁ・・・・」
女同士、見れるものも多いからこその呟き。
羨ましいと叫ぼうとしたサンジは冷たい殺気を感じ取って咄嗟に立ち上がった。予想通り、一瞬で入り口付近にいたはずのブルックの気配が吹き飛ばされ、息を荒らげたゾロが飛び込んでくる。
「てめェ!!いねぇと思ったらこのクソコック!!!くろねこの風呂を堂々と覗いてんじゃねェ!!!!」
「え、ちょ、ゾロ、ここで刀はまずいから!!!」
ここにはナミやロビンの大好きなお風呂道具がたくさんある。それを斬られては自分が怒られてしまうとサンジを庇うように立ったくろねこは、はらりと落ちるタオルも気にせずにゾロが放った刀を呼び出した妖刀で受け止めた。
「なっ――――!」
刀同士がぶつかる音。
――――と共にサンジが鼻血を出しながら吹き飛んでいった。
しばく必要も無いぐらいの飛距離を記録して廊下に転がったサンジをゾロがゴミでも見るかのような目で見下す。トドメでも刺してやろうかと刀を構え直すゾロを、騒ぎを聞きつけて来たらしいナミが止めた。
「ちょっとちょっと、やめなさいよ。神聖なお風呂場で乱闘なんて勘弁してよね」
「それはこのエロコックとエロ骸骨に言え」
「あら、この状況を見ればアンタも同罪よ?」
暴れたことによって湯気が飛んだこの場所では、くろねこの裸が鮮明に見える。ナミが指さした先のくろねこを見てしまったゾロは、慌てて顔を逸らしながら鼻を手で押さえた。
「あらあら。“見慣れてる“くせに鼻血~?」
「ッせェぞ・・・・」
「見慣れてる否定しないのね」
「だーーーッ!このくそアマッ・・・・!!!」
「まったく。くろねこもこんなモノにつられちゃだめでしょ?サンジ君の十八番よ?お風呂中にドリンク持ってくるの」
「えへへ・・・美味しそうだったもんでつい・・・・」
転がったグラスを手にとって揺らすナミも、同じ手を食らったことがあるのだろう。さすがだなぁと思いつつも、くろねこは苦笑しながらゆっくりと刀を置いた。
「ま、減るもんじゃないし!大丈夫大丈夫!」
「アンタねぇ・・・10万ベリーぐらいふんだくりなさい!」
「やだやだ、それはナミやロビンだから成立する値段だよー?むしろ二人は安いぐらい」
「・・・・・ゾロ、ちょっと来なさい」
「あ?なんで俺ッ・・・・!?」
へらへらと笑うくろねこがお湯に沈んだのを見届けて、ナミはゾロの耳を引っ張る。お風呂場が見えなくなった場所で乱暴に突き飛ばし、ゾロが怒鳴る隙も与えないぐらい殺気立ったナミが小声で尋ねた。
「アンタ、くろねこに対して何か言ってるんじゃないでしょうね」
「言うわけねェだろッ!?」
「じゃあ何なのあれは!」
「何がだよ!」
「あの子、やたら自分に自信がないのよ。・・・・まぁ、確かに私が美しいのは認めるけど?それでもくろねこだって良い体してんだからあそこまで卑屈にならなくたって・・・・」
「・・・・・・」
ナミの言葉にゾロは視線を逸らす。
身に覚えがないわけじゃない。
それは自分が何かを言った覚えがあるというわけではなく、くろねこがそう思う理由について覚えがあるという意味だ。
「あいつは、剣士だ」
その身に刻まれた傷は剣士の証。
「それを否定する必要もねェだろ」
中途半端な慰めは意味をなくす。
実際くろねこと体を交える時、くろねこは見られることを嫌がる。普段、ああやって事故で見えたときは平気な顔をしているくせにだ。ゾロとの時だけに女としての感情が入っているのは知っていた。だから何を言えと?というのがゾロの考えだ。
不器用故か。
それ自体が、優しさなのか。
ナミは大きくため息を吐くと、からかうように目を細めた。
「まぁそれでもいいけど、あのなーんか抜けた性格治してあげなさいよね。見ててハラハラするんだから。サンジ君に見られても平気な顔してるし、あのままだとこいつら味を占めて覗きまくっちゃうかもよ~?」
大量の鼻血に埋もれる二人を足蹴にしたナミに、ゾロが珍しく真剣に頷く。
「・・・・それもそうだな」
「え?ちょ、ちょっと!?」
慌てるナミを退かしてお風呂場に戻ったゾロは、お湯に浸るくろねこに手を伸ばした。不思議そうに首を傾げるくろねこの熱い肌に手を添えてぐいと顔を近づける。
「おい」
「ひゃ、ひゃい・・・?」
「てめェは、誰のモンだ?」
え、ヤクザ・・・・?
そんなつぶやきが聞こえてきそうなくろねこの表情にゾロは追い打ちをかける。
「答えろ」
「えっと・・・ゾロの、もの・・・?」
「分かってるじゃねェか。それならあんなクソコックに容易く体みせんな」
「え、う、うん・・・?まぁでも別に見られても減るもんじゃ」
「見せるな」
殺気立った命令口調にくろねこはただ頷いた。
それに満足したゾロが手を離す――――と見せかけて耳元に唇を寄せる。
「俺はお前の体しか興奮しねェ。・・・・そんな体を他の男に見せるってのがどういう意味か、ちゃんと考えろよ」
ゾロの言葉に、さっきまで平気な顔をしていたくろねこが顔を真っ赤にしながらお湯に沈んでいった。ぶくぶくと泡立つそれを見届けて立ち去るゾロに、ナミがやれやれと肩をすくめる。
この様子じゃきっと荒療治されたわねと呟くナミの言葉は見事に的中しており、それからくろねこはやたら肌を見せることを恥ずかしがるようになった。その視線の先には、必ずゾロがいることも、ナミだけが気づいている。
最強のしあわせぱんち
(特定の人には最強の威力ってことを教えただけ)
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