いらっしゃいませ!
名前変更所
苦しげな表情で、ぽつり。
荒い吐息と涙がこぼれる。
こんなことを考えている場合じゃないのは分かっている。
だが俺は、その表情に何故か見惚れていた。
「ふざけ、んなよ・・・・!」
一般的にいえば大ピンチの状況だろう。
俺は右腕に大きな傷を負い、出血から壁に背を向けて座り込んでいた。
それを守るように戦う彼女も、さすがの数に手こずったようで傷だらけになっている。
だが着実に、男たちは減っていく。
最後の一人に容赦なくドスを突き立てて荒い息を吐いたあけは、痛みに涙を流しながら倒れる男たちを睨みつけた。
「っは、ぐ・・・・」
痛みに歪む表情。
吐き出される荒い息。
震える、声。
ぽたぽたと流れ落ちていく涙。
――――ぞくぞく、する。
「峯、お前な・・・・!?油断がすぎるんだよ!!」
俺の油断が招いた抗争。
ぎりぎりで気づいたあけが入ってきてくれたおかげで俺の傷は腕だけで済んだが、十分な準備もなく戦闘に飛び込むことになったあけは辛そうに俺の方へ歩み寄った。
「・・・何故、ここが」
「怪しいと思ったんだよ。今更あの組がお前に仲良しこよしをするために近づくわけねぇってな。それに大吾からも注意されてた組でもあるし・・・・」
改めて仲良くしたいという申し出と、ビジネスとしての話と。
騙されてもある程度美味しい話だったため引き受けようと一応護衛を引き連れていったのだが、相手はここで俺や俺の組を潰すつもりだったらしい。
予想以上の数と武力に、危うく潰されかけたというわけだ。
用意したレストランも港区の一等地。
さすがにここで目立つ抗争はしないとふんでいた俺の考えが甘かった。
とりあえずここから離れようというあけに従い、急いで近場にある自分の事務所へと戻る。
「腕、やられてんだろ。私が運転する。悪いけど安全運転するからな」
「・・・・えぇ」
あけはすごく不安そうに俺の車の運転席に座り、性格に見合わない慎重な運転を始めた。
思わず笑ってしまえば、視線をこちらに向ける余裕もなくあけが怒鳴る。
「てんめぇ、馬鹿にしてんの分かってるからな!」
「いえ・・・・馬鹿になんてしていませんよ」
「お前の車怖いんだよ!!!」
「ぶつけたら弁償してくださいね」
「やめろ!!!」
脅せばガチガチになった様子のあけが必死に運転しているのが目に入った。
血だらけで酷い状態だって言うのに、俺達はまるで普通にデートしているかのようにやり取りをしながら港区の事務所まで戻った。
真剣な表情で車を止めるあけを見守った後、渋い顔をしたあけが車から降りて助手席側に回って扉を開けた。
そして優しく俺の方に手をのばす。
「さっさと治療しよう。行くぞ」
あけも傷だらけだというのに、俺の腕に負担がかからないように事務所までエスコートしてくれた。事務所に入るなりテキパキと治療道具や薬を取り出し、俺に座るよう促す。
「まずは貴方の傷を・・・・」
「私のはかすり傷程度ばっかだ。気にすんな」
そんなはずないというのに。
かすり傷程度であんなに苦しそうにするわけがない。
あけという女を見てきたからこそ分かる。
この女はどこまでも強く、どこまでも隠すのが下手だ。
あの時見せた表情が嘘だとは思わない。
その証拠に俺の傷を治療する手も、どこか覚束なかった。時折苦しそうに顔を歪めているのも見える。
「良し、こんな感じか。良かったな、そこまで深くなかったぜ。出血量が多かったから焦ったけど・・・・」
「では、次は貴方の番ですね」
「え?あ、いや、私は後で・・・っ」
腕を少し引っ張っただけであけの表情が強く歪んだ。
「やはり、酷い怪我をしているようですね」
「ッ・・・」
無理やり引っ張って自分の隣に座らせると、今まで我慢していたのを吐き出すかのようにあけが荒い息をつきはじめた。
じんわりと、握っていた手が熱くなる。
相当我慢していたのだろう。改めて体に触れれば、あけの体は暑さと汗に侵されていた。
ゆっくりと服を脱がしていけば、顕になった腕には大きな打撲後が残っている。
「てめ、いきなりひっぱるな・・・・っ」
「やせ我慢するのが悪いんでしょう?」
あぁ、いらつく。
あけにこんな事をした奴らを今すぐぶち殺してやりてぇ。
だが油断してこんな自体を招いたのも自分自身だ。
今はただ、目の前に集中するだけ。
顕になった痣にゆっくりと薬を塗っていく。痛がるあけを宥めつつそのまま足、胸元、そして腹部と手を這わせていく。
「あ、ぐ・・・・」
腹部に手を伸ばした瞬間、あけが一番痛そうな表情を浮かべた。
「ぅ、いたい・・・・」
「私の腕を掴んでください。まずは消毒しますよ」
「ッぐうう・・・・」
腹部の傷は酷いものだった。
刃物の攻撃を無理に避けたのだろう。出血量もひどく、中々に深い傷跡が1本脇腹の部分に走っていた。よくここまで我慢して俺をエスコート出来たものだと、正直に感心する。
傷跡の手当を始めれば、さすがに我慢できなくなったらしいあけが俺の腕を掴みながら大粒の汗を浮かべてうめき出した。
荒い息。絶え絶えに呼ばれる名前。
溢れる、涙。
不謹慎だとは分かっている。
なのにどうしても――――どこかゾクゾクとしてしまう自分がいて。
「っは、俺も中々性格が悪いようだ」
「今更かよ・・・・」
「これでも紳士的に対応してきたつもりだったんですがね」
「私にもそうしてるつもりってんならだいぶ崩れてるぜ・・・・変態野郎」
俺が何故こんなことを呟いたのか、あけは理解したのだろう。
「私が痛そうにしてるってのに、楽しそうにしやがって・・・・」
「楽しいわけではないんですがね・・・貴方の涙を見ると、何故か興奮してしまう」
数秒前の言葉など投げ捨てて、俺は本心を口にした。
あけはその言葉に驚くこと無く呆れたようにため息を吐く。
「ほんとお前・・・意地悪いよな・・・・」
「あぁでも、やはり他のやつにやられた貴方を見るのは苛立ちのほうが大きいですよ」
「当たり前だろ」
「えぇ。私が泣かせた涙でないと意味がありませんので」
「・・・・・お前ほんと意地悪いな・・・・・・」
そう言いながらも特に発言に怯えたりしないのはさすがというべきか。
この世界に飛び込んだときは、本物の絆というものを知るために飛び込んだだけだった。
俺が今まで金だけで築き上げてきたものがどれだけ浅はかだったのか、それを知らしめてくれる世界であることを期待していた。
でもそれと同時に、この世界に入ったことによって俺は自分が眠らせていた自分の荒々しい欲望と性格に気付かされた。
何だかんだ言って性にあっていたのだ、この世界が。
「今はとにかく治療してしまいましょう」
「っ~~~~!」
消毒液をまんべんなく当て、痛みに悶えて泣くあけを抱きかかえながら包帯を巻いていく。
あんな冗談を言い合っていても、あけは強がりだ。
俺に泣き顔を見せたくないのか俺の肩に顔を埋めたまま動かない。
聞こえる吐息や震える肩が、泣いていることを伝えているというのに。
「・・・・本当に、すみません」
直接責められはしなかったが、どれもこれも全ては俺のせいだ。
まだ経験の甘い俺が引き金を引いた故の、傷。
「別に・・・・・お前が無事なら、なんでもいい」
特にためらうこと無く素直にそう言う彼女は、さすがというべきか。
「傷跡が残るようでしたら優秀な病院につれていきます」
「そんなの気にしなくていい」
「・・・・」
「この世界に踏み入れてたった数年だ。失敗は誰にだってあるし、でも・・・・私は、お前が死ぬのだけは絶対に嫌だ」
傷の手当が終わっても、あけは震えたままだった。
泣いているのか?と耳元で囁やけば、鼻声の強がりが返ってくる。
「・・・・お前が、死んじゃうかと思った」
「すみません・・・・」
「私がもっと早く気づいていればって、血だらけのお前を見て、本当に・・・・焦ったんだ」
「・・・・もしかして、私のために泣いてくれてるんですか?」
「ッ・・・だったら悪いかよ」
あけの言う通り、本当に危険な状態だったのは確かだ。
俺は相手の誘いに乗ってもいいという心構えで飛び込んだにも関わらず、相手の戦力や思考を読み誤って危うく殺されかけた。
そこにあけが飛び込んで来なければ、確実に今俺はどこかに沈んでいただろう。
この世界の危険性を改めて知ったのと同時に笑みが溢れる。
やはりこの世界にきて正解だった。
「笑ってんなよ」
「いえ・・・幸せだなと、思いまして」
「はぁ?」
「この世界に飛び込まなければ貴方と出会えなかった」
「・・・それは、そうだけど」
「経営のように数年でうまくはいかないものですが、その代わり私は貴方達と出会えた」
「私はまだあのときのことを夢に見るってのに呑気なこと言いやがって」
あのときのこと。
あけが言うそれは、俺が死のうとしたときのこと。
あのときはもう悔いも何もなかった。ただ自分がやってしまったことに対しての罪をそれで帳消しにしようとする逃げだったのかもしれない。
「頼むから、死なないでくれ」
顔を上げたあけがぼろぼろと大粒の涙をこぼした。
「っ・・・・」
そんなに泣かれているとは思わなかった俺は、その表情に口づけを落とした。
ゆっくり涙を拭き取るように、丁寧に口づけていく。
「そんなに泣かないでください」
「・・・・だって」
「理性が保てなくなる」
「・・・・え、そっち?」
我慢できず、間抜けな声を出すあけをソファに押し倒した。
俺のその行動にあけが不満そうな声を上げる。
「お前、人が真面目にっ・・・・!」
「心配しなくても俺はもう死にませんよ。俺が生きてないとあけを他の男に取られてしまいますからね。死んでも死ねませんよ」
「っ・・・・別に、とられたりは・・・・」
「俺はあけの最初で最後でありたい。他の男に狙わせないためにも、俺はあけが許すまで絶対に死にません」
「っは・・・じゃあ、一生着いてきてくれるんだな?」
嬉しそうに涙をこぼしながら笑うあけは、無意識なのか俺を煽るようなことを言う。
「つまりそれは、一生俺から離れないということでいいんですか?」
「むしろ離すつもりあったのか?」
「いいえ」
「なら一生着いていくことになるだろ、必然的に・・・っておい・・・!」
あぁ、とても愛おしい。
俺のために何も必要とせず、本当の俺だけを見てくれる存在。
そんな存在が流してくれる涙は、先程の言葉を冗談と言えなくなるぐらい俺の理性を揺らがせる。
「あけ」
「ん・・・・」
涙の跡を舌で舐めると、あけが嫌そうな顔をした。
「なんかそれ変態ぽい」
「お望み通り変態になってあげましょうか?」
「元からだろ」
「・・・・・・」
「ひゃ!?おいこら!こんなところでっ・・・・!」
まだ涙も乾かない瞳でそんなことを言われて、我慢できるはずもない。
それに分かっていた。彼女の瞳がまだ―――不安に揺れていることを。
「俺を感じてください。俺は絶対に離れない」
「・・・・・うん」
「あけの不安が消えるまで、ずっと俺が生きてることを味合わせてあげますから」
「じゃあ、こうしてくれ」
あけの手が俺の首に回り、引き寄せられた。
頭を抱えるように抱きしめるあけに愛しさを感じて我慢できなくなる。
どくどくと、近くで聞こえる心臓の音を確かめるように胸元のボタンを口で取ろうとすれば、気づいたあけが手を離した。
「やっぱ変態」
「今更ですか?貴方の涙に理性を保てなくなってる時点で自覚はしてますよ」
「・・・・そ、そうか」
「ふっ・・・・嫌いになりましたか?」
殺し文句だと分かっていながらも静かに尋ねる。
もちろん、返ってくる答えも知っている。
「好きに決まってんだろ、ばーか」
次は啼かせてやろうと、生意気に笑うあけの唇を塞いだ。
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