いらっしゃいませ!
名前変更所
久しぶりにこの季封を訪れた、僅かな間の平和。
その時間をどう過ごすか悩んでいた私は、玉依姫に戦への準備の手伝いを申し出た。
だが何故か、姫はそれを許してくれなかった。
「え、あ、あの、姫様?」
「駄目です。貴方は身体を休めてください、水猫様」
「えー!」
「えーじゃありません」
「これ以上暇な時間が続いたら死んでしまいます!」
「でも貴方はもう既に働きすぎです。戦まであと少し・・・身体を休めてください」
休めって言われても。
私は猫だ。猫は自由気ままに動いていないと暇を感じてしまう。
それに働きすぎって言っても、戦前の戦士達に稽古を付けたりしていただけだ。
私自身、それも遊びのようなものだったのに。
「・・・じゃああの、稽古を」
「駄目です」
「・・・はい」
姫さんは頑固で強い。
これ以上は話を聞いてくれないだろうと、私は静かにその場を後にした。
ま、だからといって、大人しくしてるつもりはないんだけどね。
息を潜ませ、目指すは稽古場。
剣の練習では無く、術の練習をするためだ。
「よいしょっと・・・うわぁっ!?」
「・・・!?」
稽古場の扉を開けた瞬間、鈍い音が私の耳元を掠めた。
それを確認する間もなく身を捻り、その音の正体から何とか逃げる。
音の正体は私に気づくと、申し訳なさそうに頭を掻いて笑った。
「いやー、わりぃわりぃ。気づかなかったぜ」
「・・・胡土前様。こんな入口のところで剣を振らないでくださいよ!」
「しょうがねぇだろー?こいつも居るんだからよ」
そう言って胡土前は、部屋の隅っこで訓練する秋房の姿を指差す。
秋房は人一番、剣に関しての思いれが強い。
稽古に集中し出すと周りが見えず、いつの間にか胡土前を入口側に追いやってしまったのだろう。
まぁ、稽古を付けてください!と、騒がないだけマシなんだが。
渋い顔でそう呟いた胡土前に、私もクスリと微笑んだ。
「まぁ、秋房らしくて良いんじゃないですか?」
「そうは言ってもなぁ・・・」
「でも困りました。これじゃあ、私の暇つぶしが出来ませんね・・・」
私がここに来た理由は一つ。
姫さんに隠れて、術の稽古を付けるため。
でもこんな状況じゃ、剣も術も使えない。
諦めて帰ろうとした私を、ふいに胡土前が止める。
「ま、ちょっと待てよ」
「どうしました?」
「ヒマつぶしついでに、真剣勝負といこうじゃねぇか」
こういう口調になる時、彼が何を望んでいるか、私は良く知っていた。
なんたって彼は私の師匠。綾読と胡土前と同じ時間を過ごし、生きてきたのだから。
基盤を取り出そうとする胡土前に、わざとらしく呆れた表情を見せる。
「・・・・どうせ、まだ弱いのでしょう?」
「おいおい。随分な言い方じゃねぇか、師匠に対して」
「ふふ・・・。じゃあ、賭けでも致しましょうか?その方が、勝負として成り立つでしょう?」
「望むところだ」
彼が望んでいるもの。それは囲碁だ。
胡土前は私と綾読に囲碁を教えて貰ってから、毎日のように囲碁をするようになった。
楽しんでもらえるのは嬉しかったんだけど、問題は胡土前のセンスの無さ。
何度教えても、策略を言ってみても、彼は一切私たちに勝つことが出来なかった。
戦ではあんなに策略を立てて動いている男が、どうしてこんなにも囲碁にだけ弱いのか。
「ほらよ。やろうぜ」
取り出した基盤を置き、石が入った箱を私に投げて寄越す。
さぁて、少しは強くなっていると良いんだけど。
白い石を手でいじりながら、やる気満々の胡土前に言う。
「じゃあ、賭けは何にいたしましょう?」
どんな賭けでも構わない。
だから私は、彼に賭けの内容を預けた。
胡土前はしばらく考えるそぶりを見せ、それからパンッと手を叩く。
何かを思いついたような表情の胡土前は、まるで子供のようだった。
これはたぶん、ロクでもないことを思いついたに違いない。
「んー、そうだなぁ。こういうのはどうだ?勝った奴が、1日負けた奴をコキつかえるっつーのは」
「・・・本当によろしいので?たとえ胡土前様でも容赦は致しませんよ?」
「いいっていいって!そら、始めるぞー!」
1個、1個。
心地よい音を立てて、石を置いていく遊び。
最初は両者とも順調な滑り出しだった。
戦況が変わっていくのは、約半分の基盤を埋め始めたころから。
突然胡土前の声が上ずり始め、表情もぎこちなくなる。
「胡土前様。次はあなたですよ?」
「ん?あ、あぁー」
「ちょっと?力こめてるの、分かってますよ?」
私も胡土前と同じ、水の魂に呼びかける力を持つカミの一族。
当然、胡土前が水に呼びかけようとすれば、私にもその波動が僅かながら伝わってくる。
逃げ場は存在しませんよ?と、笑って見せた、その瞬間。
――――バチィッ!!
鋭い音を立て、見えない速さで基盤が砕けた。
いや、正確には、胡土前のあり得ない速さの剣技に散ったのだ。
「ああ、ちょっと!?何をしているのです!?」
私の張り上げた声に、隅っこで稽古していた秋房がビクッと身体を震わせた。
そんなにも構わず、粉々になった基盤を指差し、声を上げる。
「もう!昔と変わらずじゃありませんか!」
「そう声を上げるなよ、水猫。突然不自然な力で基盤が壊れただけだろ?」
「突然そんなこと起こりません!貴方意外にあんな剣技を使える人もいないでしょう・・・!?」
「お?なんだ?それは褒められてんのか?ありがてぇなー」
「賭けは貴方の負けでしょう?さ、なんでもいう事を・・・」
「いやいや、これは事故だろ?だからもう一度やり直しをだな・・・」
「何度やっても同じ事」
どうせあんな囲碁の打ち方じゃ、私には勝てない。
大体、こんな風に吹き飛ばすのを続けて誤魔化せると思っているのだろうか。
何度やっても負けを認めてくれない胡土前に、私は苛立ちを露わにした。
いつも胡土前に好き勝手されているのは私だ。
こういう所ぐらい、勝たせてくれてもいいのに。
「まったく・・・」
「ほ、ほら、な?賭けの続きしようぜ?」
「どうやってですか?今、基盤壊れちゃったじゃないですか・・・」
「そうだなぁ・・・。じゃあ、こっちで・・・なっ!」
「へっ?ちょ、うわっ!?」
鈍い音を立て、出現した剣―――竜燐丸。
斬られぬよう慌てて身を翻した私は、そのまま胡土前と距離を取った。
大きく、青い光を放つ剣。
それを取り出した意味は、すなわち。
勝負を囲碁から、剣技へ移すということ。
「え、いや、待ってください!」
「なーんだよ。勝負続けるんだろ?」
「それは囲碁の話でっ・・・!」
「そぉら!!」
「くっ・・・!もう、意地の悪い人ですね・・・!?」
囲碁なら勝てる。
だが、剣術は別。
胡土前は私の師匠であり、私が安心して背中を預けられる人。
たとえ同じ力量を持つカミといえど、彼の持つ力や経験は私よりも数倍上だ。
「ま、待ってください!こんなの卑怯ですよ?秋房も止めてくださ・・・」
・・・・ダメだ。
振り向いた先に居た秋房を見て、私は瞬時にそう判断した。
だって秋房の目が輝いているもの。
この勝負を見たい!と言いたげな目で、私たちを見ている。
こうなったら胡土前も逃がしてくれないし、とりあえず私も武器を出すことにした。
「胡土前殿!水猫様!頑張ってください!」
「ああもう・・・応援じゃなくて助けて欲しいっていうのに・・・ほ、わっ!?」
「・・・遅い!!」
「っ・・・さすがに、ナメすぎじゃありません?・・・・はぁっ!!」
一度始めてしまえば、参ったというまでは終わらない勝負。
胡土前が剣を翻すのに合わせ、私も構えを変えて応戦する。
剣はお互いにどちらの身体も捉えられぬまま、空中と地面だけを切った。
「・・・・やるなぁ。やっぱ、水猫のセンスはすげぇ」
「貴方が師匠ですからね」
間違ったことは何も言っていない。
だけど胡土前はどこか嬉しそうに微笑み・・・すぐ、大きな剣を振り下ろした。
腕の動きを見て、その攻撃は予想していた。
軽くその場から飛び、振り下ろされる剣から身を翻す。
そんなもの当たるワケない。
そう言おうと地面に着地した瞬間、刃が翻ってこちらの方向を向いた。
「っ・・・!?」
切り替えし切りは胡土前の十八番。
あの重たい刃からは想像出来ないほどの速さで刃を翻し、連続切りを放つ。
手加減されていない切っ先の速さに、思わず体勢を崩した。
それでも何とか刃から身を守り、地面を蹴って壁側へと逃げる。
「あ、あぶなっ・・・い・・・」
「ほう・・・これも避けたか」
「遊ばないでください・・・次は、こっちの番です!!」
隙を見て打つ。
私の細剣は切ることより、突くことに特化した剣だ。
大柄な攻撃の隙間を、縫うように入り込んで行くことが出来る武器。
私はそれを静かに構え、胡土前が生み出す隙を正確に狙った。
「・・・・はぁっ!」
「!・・・もらいましたっ!!」
今だ、と。
核心を持って突き出した剣は、何故か根元から掴まれていた。
どうやら私の動きを、向こうも予想済みだったらしい。
わざと誘い込んで攻撃させ、武器となる剣を掴む。
やっぱり胡土前は強い。なんて感心していたら、そのまま剣を折られてしまった。
「あ・・・!」
「貰ったぜ・・・!」
「ッ・・・!」
それなりに霊力を込めているつもりだったのに。
霊力で作っていた剣を折られた私は、その衝撃でバランスを崩した。
もちろん、その隙を胡土前が逃すわけも無く。
「はっ・・・まだまだだな」
「・・・参りました」
私は両手を上に上げ、降参のポーズを取った。
それを見た胡土前が嬉しそうに笑い、そして徐々にその笑みを歪めていった。
彼が二人きりの夜に見せる、あの時の笑みと同じような色気。
秋房が居るにも関わらず顔が赤くなるのを感じ、私は慌てて顔を伏せた。
だが胡土前は容赦なく、私の頭上で命令を下す。
「んじゃ、賭けは俺の勝ちだな」
「・・・卑怯です」
「最近俺の傍から勝手に居なくなってたからなぁ・・・それなりに色々してほしいこと、あるんだよなぁ・・・」
「ちょっと、人の話を・・・!」
「決めた」
ぐいっと強く引き寄せられ、耳元に胡土前の唇が触れた。
そして秋房から私が見えないよう隠すと、その場所で小さく囁いた。
「今夜、たっぷりと俺に付き合え・・・な?」
何が、とは言われない。
何を、とも聞かない。
心が通じ合い、愛し合っているもの同士―――何が起こるかなんてすぐに分かる。
「・・・駄目、です。胡土前様はいつも手加減しないのだから」
「・・・胡土前様なんて、何時そんな他人名義で呼べっつったよ」
「い、いいから・・・離しっ・・・」
一瞬、触れる程度に唇を塞がれた。
無言のまま胡土前の視線が、少しだけ秋房に移る。
意地の悪い脅しだ。
秋房に勘付かれたくなければ、ちゃっちゃと命令に従えと、そういう事だろう。
やっぱりこの人には敵わないなと、私はもう一度降参のポーズを取った。
「・・・仕方ありません。どうぞ、お好きにしてください・・・・胡土前」
「あぁ、言われなくても美味しくいただくぜ」
本当に強いのは力でも、頭の良さでもなく。
(策略と言う二文字の、意地悪い考えだけ)
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