いらっしゃいませ!
名前変更所
私には幼馴染が居た。
剣術が上手くて、誰よりも正義感が強い、お人よしな剣士。
私はずっと、彼を傍で支えてきた。
自ら女という立場を壊し、剣に近づくことによって彼を理解した。
周りの人からは乱暴者だとか、男女だとか馬鹿にされたけど。
それでも良かった。
あの日が、来るまでは。
関ヶ原の戦い。
その戦いへの誘いを受けた彼は、私の前から姿を消した。
道場の門下生をすらも、放置して。
そしてそのすぐ数か月後、私は彼が賞金首となったことを知った。
何故彼が?でもそれ以前に、彼を守りたいという気持ちが上回った。
だから私は、彼を追いかけた。
追いかけて追いかけて、やっと追いついた。
この、祇園に。
「はぁっ・・・・はぁっ・・・・」
「待ってくださいよー!」
「うっせぇな・・・!」
やっと祇園に追いついて、約1年。
この町で生きていくために剣を捨てた私は、遊女となって生きていた。
もちろん、これも全て彼の傍に居るため。
どうせこんな想いなど届かない。
分かっててもしてしまう、自己満足なだけの馬鹿な忠誠。
どのぐらい馬鹿な忠誠かって?
1年未満で、天神にまで上り詰めるぐらい、かな。
「あけ天神ー!逃げ出したら駄目ですって!」
「うっさいな!ちゃんと働いてるんだから問題ねぇだろ!?」
でもやっぱり私には、遊女としてのお淑やかな性格は割に合わなかった。
すぐにこうやって店を抜け出し、遊びに出てしまう。
だけど、今日は特別な日。
きちんと女将さんに、今日1日のお休みもいただいた。
「あけ天神ー!」
「だー・・・しつけぇ・・・・」
もちろん、抜け出すことは内緒だけど。
こうやって見つからなきゃ、上手く抜け道から抜け出せたはずなのに。
今日。今日だけは。罪でも祇園の外に出させて。
「おりゃっ!」
何とか追っ手を一時的に撒いた私は、龍屋に飛び込むようにして身を隠した。
龍屋の持ち主である桐生が、不機嫌そうにこちらを見つめている。
「お前・・・また抜け出してんのか」
「わ、ちょ、たんまたんま!今日だけは本当に見逃してっ!」
「あぁ?んなことできるわけ・・・」
「あけ天神ー!?」
「やば!な、頼む!匿ってくれ!今日だけは本当に用事があるんだ!」
私が逃げ出した時、いつも捕まえに来るのは桐生だった。
だからある意味、私は桐生に会うために店を抜け出す。
久しぶりに聞けた桐生の声に、自然と心が揺れるのを感じた。
「・・・」
「・・・え?」
匿ってくれと頼みこむ私の前に出された、大きな手。
彼の言わんとしていることが分かったような気がして、大きく首を振る。
「か、金持ってきてねぇんだ・・・・」
「じゃあしょうがねぇなぁ・・・・金の絡まない話に俺は手伝う気はねぇからな」
「それが幼馴染に言うセリフか!?」
「わりぃな。幼馴染だろうと何だろうと、俺のやり方がこれなんだ」
「うぐ・・・・」
お金、持って来ればよかった。
そう後悔しても、もう遅く。
段々と近づいてくる追っ手の声に、私はわたわたと周囲を見回した。
今逃げて逃げ切れるか?いや、もう声の近さ的に無理だろう。
やっぱり、頼めるのはもうここしかない。
「おおおおおねがい!お金なら後で渡すって!な!?」
「どうするかなぁ・・・・」
「おおおおい・・・・!?」
「フッ・・・・じゃあ、こういうのはどうだ?」
グイッと腕を引かれ、急に桐生の顔が近づいた。
出しかけた悲鳴を何とか飲み込み、私は目を閉じる。
「おいおい・・・意外と可愛い反応するじゃねぇか」
「ッ・・・ん、だと・・・!?」
「お前が一晩、代金なしで俺に貸されるっていうなら考えても良いぜ」
「なっ・・・!?」
「幼馴染のお前といえど、天神は天神だ。美味しい思い、させてくれるだろ?」
幼馴染とはいえ、私の片思いの人。
だからこそ、遊びの関係にはなりたくなかった。
そんな私の目の前に出された、桐生の条件。
一晩貸される?一晩が何を意味するかぐらい、私にだって分かる。
でも、どうしても今日は外に出なくちゃいけない。
桐生の、宮本武蔵の、誕生日なんだ。
今日の日のために、私は祇園の外にある運び屋に故郷で作られた服を頼んだ。
それを取りに行かなきゃ、私は。
「・・・・わ、分かった」
「・・・・そこまでして、行きたいところがあるのか?」
「あぁ。だから・・・頼む・・・」
「ったく・・・・・そこに隠れてろ」
「ほんと!?さんきゅー!」
指定された棚の陰に隠れ、追手が居なくなるまでやり過ごす。
私は隠れた棚の近くで作州の剣を見つけ、静かに手に取った。
剣を捨てた今でも、故郷の事は忘れられないんだろう。
桐生にばれる前に剣を戻し、追手が居なくなったことを確認して棚から顔を出した。
「お・・・行ったみたい?」
「あぁ、みたいだな」
助かった、って思えたのも束の間。
桐生がニヤッと妖しい笑みを浮かべるのを見て、勢いよく後ずさった。
「あ、いや、武蔵・・・・?」
「その名前で呼ぶな」
「あ、わるい・・・桐生、あのな、えっと、どうしても今日は・・・」
「代金、貰ってねぇぜ?」
「いや、あの・・・」
抱かれたくない。
抱かれてしまったら、きっと私は壊れてしまう。
偽りの恋のままで、終わるのは嫌だ。
身体だけの関係なんて、もっと。
そんなことになるぐらいなら、私は砕ける事覚悟でこの気持ちを伝える。
「ごめ、ん、ほんと、ほんとに今日は大事な用事があるんだ・・・」
「・・・・そうか」
「じゃあ、尚更行かせるわけにはいかねぇな」
「へっ・・・・うわ!?」
突如、押し倒された。
目の前に映る桐生の目が、いつもと違う光を放っている。
え、なに?私、何か怒らせちゃったとか?
「お前、誰に会いに行くつもりなんだ?」
「え・・・・?」
「誰かに会いに行くんだろ?めんどくさがり屋のお前が、大事な用って言うぐらいなんだからな」
「ち、ちが・・・」
「言えよ、あけ。俺に隠し事なんて無駄だって言っただろ?」
それは、幼馴染としての顔。
語りかけてくる声も、言い方も。
全て幼馴染の私に対して放たれていた。
子供のころから、私はこいつに勝てなかったんだっけ。
何をしても勝てなくて、だからこいつに嘘は通用しなかった。
きっと今も、それは変わらない。
私は観念したとばかりに両手を上げると、今日の目的を話すことにした。
「今日、作州から服が届くんだ」
「・・・作州?」
「お前の仕事用の服・・・いつも同じだし、気分転換になるかなって」
「・・・・お前・・・」
「今日、誕生日だろ?桐生」
私の言葉に、桐生の表情が気まずそうな色に変わっていく。
そして私の身体から腕を離し、大きな背中を私に向けた。
描かれている龍。
桐生は、武蔵は、昔から龍が好きだった。
私はそれを知っていて、今回の服に龍を刺繍してもらったいた。
「・・・・わるい」
「ぷっ・・・!」
「あ?」
「桐生がそうやって素直に謝るの、は、初め、てっ・・・ぷっ・・・・!」
「お前なぁ・・・・!」
ふてくされ顔で謝る桐生を、私は笑いながらからかう。
昔からこういう関係が私たちの関係だった。
お互いに馬鹿にして、男女という壁もなく喧嘩を起こす。
向けられた桐生の背中を指でなぞり、囁くように甘い声を出した。
それは接客の時に使う、普段の私とは全く違う声。
「もしかして、嫉妬してくれてたのぉ・・・?き、りゅ、う、く、ん!」
叶わない恋。
追い続けた、恋。
微かな望みを冗談として吐き出した私は、振り返った桐生の表情を見て笑うのを止めた。
また、さっきと同じ表情。
目の輝きが、いつもと違う。完全に男としての光を宿して私を見ている。
「き・・・りゅう・・・?」
「お前は・・・どうして、俺に着いて来たんだ・・・」
「え?」
「昔からそうだ。俺に何も言わず、俺の後をついて来て・・・」
「あ・・・・」
もしかして、迷惑だった?
なんて、笑顔で聴くことは出来ない。
さすがの私でも、それを聞くことは出来なかった。
ただただ無言を貫き、桐生から視線を逸らす。
そんな私を見た桐生は私に近づくと、私の顎を持ってグイッと無理やり上を向かせた。
「どうして俺に言わない?」
「え、だ、だって、迷惑・・・かけ、るだろうが・・・」
「俺がいつ迷惑だって言った」
「・・・で、も・・・」
「チッ・・・お前が勝手に遊女なんかになるから、めんどくさい事になったんだろうが」
「え・・・」
驚くと同時に感じた、唇への温かい感触。
それがキスだと分かったころには、既に桐生の唇は離れていた。
ぽかんとする私を尻目に、桐生は言葉を続けていく。
「そうやって、他の男にも触らせてるのか?」
「んなわけねぇ、だろ・・・」
「その割には隙がありすぎじゃねぇか?俺に着いてくるために剣を学んでたお前が・・・こうやって、誰にでも身体を触らせてるのか?・・・・気に食わねェ、な」
どういう、こと?
それってまるで、あれだよ。
嫉妬してるみたいに聞こえるよ、桐生。
「桐生、わたし、は・・・・」
「俺以外のやつに、何人抱かれた?」
「なっ・・・・」
「俺以外のやつに、何人こういうことされたんだ?言ってみろよ」
「・・・・さ、された、こと、ないっ・・・・」
「・・・・本当か?」
「本当、だ!私は、私は・・・」
噛み付くように、首筋に歯を立てられた。
チクリとした痛み。そして咲き誇った赤い花。
遊女としては、決して付けてはいけない痕。
でも今の私にとって、その痕は最高のものだった。
桐生の独占欲の証を付けて貰えたんだ。それだけで。
「好き」
もう、嘘は吐けない。
「私は、武蔵が好き。だから、私はお前のためにここまでなった。だから、本当に誰にもそういうこと、させてねぇんだ・・・・」
我慢なんて、出来ない。
「好き・・・、武蔵が、ずっと、前から」
呟くように本音を零した私を、桐生が強く抱きしめてくる。
「桐生・・・」
「お前、明日店を止めろ」
「え・・・・?で、でも、そんな急にやめれるわけ・・・」
「金だろ?それならここにある」
「・・・へっ?」
「決めた。俺はお前を身請けする。明日にはやめろ」
「へ、な、なんで、どこで、そんなお金・・・!」
私は一応、これでも天神だ。
太夫の1個下。それなりに身請け金額もかかる。
それなのに、なんでそんなお金が。
目を見開いて驚く私に対し、桐生は余裕の笑みを浮かべた。
「ずっと前から、俺はお前を・・・・自分の物にしたかった」
「え、じゃあ、これ・・・前から、用意してて・・・?」
「桐生となってからは諦めるつもりだった・・・でも、お前が悪いんだぜ。お前が俺についてくるから」
「っ・・・」
「これからはずっと俺の傍に居ろ。俺の、女として」
「・・・・!」
「ついてくるんじゃなくて、俺の隣を歩け」
追いかけっこしていた恋愛が、叶った瞬間。
私は初めて、彼の前で涙を零した。
動揺する彼なんか気にせず、我慢出来なくなったものを全て吐き出す。
「ふっ・・・うう・・・・」
「な、なんで、泣く・・・!?」
「だって、絶対に、お前は・・・私なんか、好きじゃ、ないってぇ・・・・」
「わ、分かった、分かったから泣くな。調子狂うだろうが・・・!」
「うううう・・・・」
「泣くなって言ってるだろ!泣きやまねぇと・・・黙らせるぞ」
「んっ!?ん・・・んんんんっ!!」
追いかけっこの恋愛。追いついた気持ち。
(でもきっと、これからも、この関係は変わらない)
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