いらっしゃいませ!
名前変更所
暗い路地裏。
そこから聞こえてくる、男女の声。
高級バーを目指して歩いていた俺は、聞こえてきた声にふと足を止めた。
「・・・喧嘩、か?」
あけとの待ち合わせまで、あと5分。
出来ればこんなところで時間を潰したくはないのだが・・・仕方がない。
人気のない裏路地で、争うような男女の声。
神室町という町なだけに、放っておくのは危険すぎる状況だ。
足音を消して静かに歩き始めた俺は、声のする方へと近づいていく。
「・・・れ・・・て・・・!」
泣き叫ぶような声。見覚えのある姿。
その姿を見た俺はすぐに足を止め、バレないよう柱に身を隠した。
どういうことだ?
なんで、あけと真島の兄さんがここに?
いや、それよりも。
どうして二人が、ここでキスしてるんだ?
「ッ・・・ろ・・・・!はな、せ・・・離せっつってんだよこのやろう!」
「おおっと・・・あけちゃんも往生際が悪いなぁ」
「どこがだ!てめぇ・・・好き勝手してくれやがって!いくら兄さんだからって、許されることと許されねぇことがあ・・・」
「黙れや」
「ッ・・・!」
暴れるあけを兄さんが押さえ付け、無理やり唇を押し当てる。
襲っているとしか思えないその光景を見て、俺は一歩も動くことが出来なかった。
赤く染まっていくあけの頬。
もしこれが、嫌がってるように見えるだけで、二人がそういう関係だっだとしたら。
「(俺には・・・関係の、ないことだ・・・)」
そう、関係ないことだ。
俺はあけの恋人でも無い。親しい関係でもない。
たとえ兄さんと付き合っていようと、俺がどうこう出来ることじゃねぇ。
「・・・っだから!やめろ・・・やめてくれ、兄さん・・・・」
しばらくして、静かな路地裏に震えた声が響き渡った。
あけはぐったりと座り込み、身体を抱え込むようにして怯えている。
「やめてくれ・・・もう、やめて・・・」
「・・・なんでなんや・・・」
「え・・・?」
「どうやったら俺を見てくれるんや、あけちゃん・・・」
「わからねぇよ・・・誰を見るかとか、そんなこと、私自身でも分からねぇよ!」
「嘘つくんやないで・・・あけちゃんは明らかに変わってしもた。前までは俺のことを見とってくれてたのに・・・見なくなったんや。何でか分かるか?」
「・・・・分かんねぇよ、そんなの・・・!!」
兄さんの腕があけの頬を撫で、無理やり掴んで上を向かせた。
無理やり掴まれたあけは、大きな目に溢れ出そうなほど涙を溜めこんでいる。
兄さんの雰囲気がおかしいことには、ここからでも気づくことが出来た。
浮かべられた笑み。
発せられる声。
その全てが狂気染みていて。
俺でさえ聞いたことのないような低い声が、周りの空気を凍らせていく。
「教えたるわ」
「いいから、離し、て・・・!」
「あけちゃんが桐生ちゃんを見始めたからや」
「・・・・!」
あけが?俺を?
「ち、ちが・・・」
「違わへんやろ?今も桐生ちゃんのこと、考えてたんとちゃうか?」
「それ・・・・は・・・」
「あけちゃんは、桐生ちゃんのこと・・・好きなんやろ?」
「っ・・・・」
聞いてるだけじゃいけないのに、盗み聞きしてしまう。
話の内容が、俺の足を止めつづけた。
この先を聞きたい。
あけが俺をどう思っているのか、聞いてみたい、と。
もし聞いて、あけが俺を好きだと言ったら・・・どうする?
「私・・・は・・・」
聞いては行けないんだ。
あけの本当の感情を聞いて、それがもし俺の理性を壊してしまうものだったら。
俺は、あけを。
無茶苦茶にしちまう。
なのに、身体が動かねぇ。
「私は、桐生を・・・」
「なんや?何も思ってないんやったら・・・遠慮せんと、無理やりにでもあけちゃんを物にするで?」
「・・・・っ!やめ、やめろ!私は、私は桐生のことがっ・・・!」
兄さんに腕を掴まれ、あけが大声を上げた。
痛いぐらいに食い込む兄さんの手が、あけの細い手首に赤い痕を残す。
気に食わない。
あけのあんなに怯えた表情、俺でさえ見たことがないのに。
獣のように湧き上がる独占欲。
それと共に、俺の理性の砕け散る音が聞こえた。
「私は、桐生の事が、好きだ・・・!そうだよ、だから、だから兄さんのことは・・・見れない・・・!」
聞いては行けなかった言葉を、俺は耳にしてしまったらしい。
理性が砕け散るのは思ったよりも簡単で、俺は自然とあけ達の方へと歩きだしていた。
手首につけられた赤い痕が気に食わない。
兄さんに、あけの怯えた表情を見られたのが気に食わない。
唇を奪われたのが。
触れられたのが、気に食わない。
「やっぱりあけちゃん、そやった・・・」
「悪いが」
真島の兄さんの言葉を遮り、俺は座り込んでいたあけを無理やり立たせた。
引きずられるように俺の胸に飛び込んできたあけは、俺の方を見て口をパクパクとさせて驚いている。
「・・・あけは返しもらう」
兄さんの方を見ることはしなかった。
力づくであけを引っ張り、俺のものだとばかりに連れて行く。
壊れた理性は戻らない。
独占欲。嫉妬。抱いた愛情。
隠してきた汚い欲が、俺を狂わせる。
「おい、桐生・・・!?どうしたんだよ、お前・・・!」
「うるせぇ。黙って来い」
「き、りゅう・・・?お前、ちょっと待っ・・・」
「来い」
「いた、痛いって!く、くそ・・・!どいつもこいつも話聞かねぇで・・・!」
「なんや・・・俺、恋のキューピットみたいなことしてもうたんか・・・!?」
あぁ、そうだな、兄さん。
良くも悪くも、その通りだ。
「おい、桐生!?は、話を聞けって!」
「・・・・」
「どうしたんだよ桐生!?」
歩みは止まらない。
もう、止められない。
俺はあけと二人っきりになれる場所を探し、最終的にラブホテルへと連れ込んだ。
場所を見て抵抗し始めたあけを、軽々と押さえこんで中に引きずり込む。
俺は自分勝手な男だ。
相手の人生を曲げないよう、邪魔をしないよう、壊さないよう我慢してきたはずなのに。
いざ相手の気持ちが自分を向いているとしれば、牙を剥き始める。
勝手な嫉妬と独占欲に狩られ、相手を壊そうとする。
「き、りゅ・・・」
「入れ」
怯えるあけをホテルの一室に投げ込み、中から鍵を掛けた。
あけはそんな俺を、ベッドの上で不機嫌そうに見つめている。
「・・・どういうことだよ、これ。何するつもりだ」
そんなあけの表情を見て、俺はやっと一時的に理性を取り戻すことが出来た。
あけの隣にゆっくりと腰かけ、自分を落ち着かせながら口を開く。
あけは俺を、嫌うだろうか。
欲望に駆られて、こんな所まで連れ込んだと言ったら。
「ワケを話せよ、桐生。お前こういうことするタイプじゃねぇだろ?」
「・・・・だ・・・」
「あ?」
「お前が、好きだからだ」
「・・・・はっ?」
あけのマヌケな反応に、俺は思わず笑ってしまった。
「フッ・・・そんな驚くことじゃねぇだろ」
「え、いや、は?驚くだろ、え、だってお前は由美さんが・・・」
「あぁ。俺は由美の事が好きだった。でもあの事件の途中から、お前のことが気になって・・・しょうがなかった」
自分の心に溜めていた感情を、ここぞとばかりに打ち明ける。
もう何もかも、隠さずに。
「俺はお前のことが好きになっちまったんだ。でもな、俺は・・・見ての通り、極道モンだ。欲望に忠実なんだ。今だって俺は、お前の気持ちを聞いて、お前を手に入れるために穢そうとした」
歪んだ愛情表現なのかもしれない。
極道から足を洗ったとはいえ、考えは極道のままだ。
相手の事を思えば、打ち明けるべきではないこの感情。
でも手に入れたい――――あけの存在。
そして、無理やりにでも手に入れてしまおうという、穢れた感情。
「俺はお前の人生を捻じ曲げっちまうことだってあるだろう。お前は純粋だ。俺なんかじゃなくて、もっといい男がいる。そう思って我慢してきた・・・でも」
聞いてしまった。
あけの、心を。
聞いて我慢できるほど、俺の心も大人じゃなかったようだ。
「お前が真島の兄さんに襲われているのを見て・・・さっきのを聞いて、我慢出来なくなった。あけ・・・俺はお前の事が好きだ」
「桐生・・・ほんと、な、のか・・・・?」
「あぁ、本当だ。でもお前はまだ若いし、俺のような奴に振り回される前に・・・もう一度、考え直・・・・」
「桐生」
今さっきまでの怯えた表情は一切なく、あけはいつも通りの真っ直ぐな瞳で俺を見つめてきた。
吸い込まれるような綺麗な瞳に映った俺は、どことなく不安そうな顔をしている。
「なぁ、桐生。・・・・私、桐生のこと・・・それでも好きだぜ。お前になら、穢されても良い」
「・・・・あけ・・・」
「私も、ずっと、前から思ってた。でも由美さんや桐生のことを考えると・・・私みたいなのは、相応しくないって思って、ずっと我慢してた」
「・・・あけ・・・俺は・・・」
「待ってくれ、桐生。私の気持ちも・・・言わせてくれ」
あけの手が、恐る恐る俺の手に重ねられた。
落ち着かせるために握り返してやれば、あけがホッとした表情を見せる。
やっぱり、素直な奴だな。こいつは。
「私は桐生が思ってるほど、純粋じゃねぇ。私だって裏の世界や極道に関わってきた人間だ。自分勝手だし、汚いことだって平気でする・・・・」
「・・・あぁ」
「だから、私は、桐生にはもっとふさわしい女がいると思って・・・私なんか、桐生を満足させてあげられないって・・・そう思って、我慢してたんだ・・・・」
「あけ・・・」
「私が気持ちを伝えることで、桐生の将来を、せっかく穏やかになった生活を・・・壊しちまうんじゃないかって・・・・」
つまり俺たちは、お互いに同じ感情を抱き、同じような悩みで止まってたってことか?
打ち明け合った気持ち。正直な感情。
全てを言い合った後、俺はふと笑みを浮かべた。
するりと、モヤモヤが綺麗に消えていく。
今まで抑え込んできたものが、一気に無くなったかのようだ。
「あけ・・・わりぃ。我慢できねぇ」
「き・・りゅう、ちょ、ちょっとまって・・・!まだ、聞きてぇことが・・・っ!」
「消毒してからでいいだろ」
「ん・・・っ!」
我慢してきたものが無くなって、俺は再び理性の限界を超えた。
あけの唇に、手首に、強く舌を這わせてあけを味わう。
兄さんに口付けされた場所。
掴まれた場所。
消毒しないと気が済まねぇ場所、全てに口付ける。
「っ・・・き、桐生・・・私を裏切っても良い。夜遊びだってしていい・・・だけど、一つだけ、一つだけ約束してほしいんだ・・・」
「・・・なんだ?」
「私を帰る場所だと思って・・・必ず、私の所に戻ってきてくれるって・・・約束してくれねぇか?」
そう言うあけの表情は、女としての表情そのもので。
俺は迷うことなくあけを抱きしめ、可愛らしい耳元で囁いた。
「約束する。・・・お前こそ、後悔しないな?」
「あぁ、しない。お前こそ、本当に私なんかで良・・・・」
「俺の女になってくれるか、あけ」
「・・・・だから・・・人の話は最後まで聞けっての・・・まぁ、良いけど、よ」
俺の気持ちに迷いはない。
正しくは、無くなったんだ。
言葉を遮られて不機嫌なあけを、俺は宥めるように撫でまわした。
もう、我慢はしない。俺だけのあけだ。
穢されても良いって煽ったのも、お前だしな。
覚悟はできてるだろう?
「あけ・・・愛してる」
何もかもが壊れるまで、壊れた後でも。
俺の全てを、受け入れてもらおうか。
一生、逃げられねぇと思えよ・・・あけ。
平行線を辿るはずだった未来が、交わった瞬間
(俺は静かに彼女を組み敷き、ニヤリと意地悪い笑みを浮かべた)
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