いらっしゃいませ!
名前変更所
神室町を離れて数か月後。
俺はすっかり遥との二人暮らしに慣れていた。
狭いアパートの中、堅気として普通の暮らしをする。
こんな生活を今までしてこなかっただけに、新鮮な感覚だった。
でも何か、物足りない。
最初は生活に慣れるので何も考えられなかったが、慣れてきた今、何か物足りなさを感じるようになっていた。
「おじさん!何か飲むー?」
「あぁ。零さないようにな、遥」
「うん!」
それは別に、喧嘩への葛藤とかではない。
何かが満たされないのだ。寂しい、虚しい、という表現が正しいだろうか?
でも特に人付き合いが無いわけでもない。
アイツとはあの戦いの後も飲みに行ったりしてるし、メールもしている。
あの戦いの悪夢にうなされることもあるが・・・別にもうそれは慣れた。
「・・・」
じゃあ、何が足りないんだ。
自分に問いかけても、答えは帰ってこなかった。
この気持ちは謎のまま、今日もまた静かに遥と過ごす。
遥がぎこちない動きでお茶を持ってくる姿を、俺は笑みを浮かべて見守った。
遥もすっかり大人になりやがって、成長が早いやつだ。
「はい!持ってきたよ!」
「ありがとう、遥」
「どうしたの?おじさん、元気ないよ?」
「あ、あぁ・・・。大丈夫だ。なんでもない」
机に置かれたお茶を含み、乾いた口の中を潤していく。
いつから俺は、こんな風に思うようになったんだ?
何が足りないんだ?何が虚しいんだ?
苛立ちまぎれに携帯を開くと、待ってましたとばかりにメールが舞い込んできた。
誰からだ?と受信ボックスを開けば、アイツの元気な文名が目に入る。
【件名:よぉ!
遥ばっかりコキ使ってねぇかー?
この前遊びに行ったとき、結構散らかってたぜ
片付けといたけど・・・遥にもたまには遊ばせてやれよ
一緒に遊ぶとかさ、良いんじゃねぇかな
私も呼べよ、桐生パパ?】
良い内容だったのに、最後の一文が俺の神経を逆なでした。
ニヤリと不敵に笑い、アイツが嫌うような言葉を選びに選んでメールを返してやる。
【件名:ありがとな
遥もすっかり大人になったぜ
俺と交代で色々やってるから、大丈夫だ
片づけのことは遥から聞いてる
すまない・・・迷惑をかけたな
今度遊びに行くとき、お前も誘ってやる
何処が良い?遊園地でいいか?
遊園地ならガキのお前も喜びそうだしな】
メールが送信されたのを確認し、静かにため息を吐いた。
まったく、アイツの絡み癖は相変わらずだな。
といっても、アイツはアイツでそこまで口が強いわけじゃない。
俺が反論すれば、すぐに「うぐ・・・」と声を詰まらせて押し黙ってしまう程だ。
それが楽しくて、ついついアイツをからかってしまう。
苛めがいのある奴って感じか。
「おじさん、もしかして・・・お姉ちゃんからのメール?」
「ん?あぁ。よく分かったな」
「だっておじさん、お姉ちゃんと話してたりメールしてる時、凄く楽しそうだもん!」
「・・・そうか?」
まぁ、極道の世界ではあまり見れない、純粋な反応を見せるやつだったからな。
やられたらやり返す。なのにそこまで強く牙を立ててこない。
喧嘩したり仕事をしている場面を見なければ、アイツが普通に表の世界の女だと言っても理解できただろう。
それほどアイツは、純粋だった。
最後の最後まで。俺の幸せのために自分の心までを抉って。
アイツは俺との約束を忘れて、自分を犠牲にすればよかったのに、と由美に言った。
本当に馬鹿なんだ、アイツは。
だからこそ、放っておけない。
アイツに抱いた感情は、このせいだと思い込み、心の中に封じ込めることにした。
「おじさん。おじさんもたまには好きにしてね・・・?」
「遥・・・」
「おじさん、時々寂しそうなんだもん・・・私は、おじさんにも幸せになってほしいから・・・」
「・・・ありがとうなぁ、遥・・・。でも大丈夫だ。俺は遥と居れて・・・幸せだぜ」
「・・・うん」
遥の気遣いに感謝しながら、ゆっくりベッドに寝転がる。
幸せ?俺にとって、今この状態が幸せじゃないのか?
全てを失っても尚、俺に光をくれた存在と一緒に暮らせる日々。
これ以上に幸せなことなんて、ないはずだ。
・・・あけ。
俺がアイツに抱いている感情は、一体何なんだ?
こうやって遥に気遣われる度、浮かぶのはアイツの顔。
「(確かに、アイツのことは気になるんだがな・・・)」
由美とは別に抱いた感情は、俺の気持ちをぐちゃぐちゃにかき乱した。
あけを守りたい。
あけが浮かべる表情の全てを、俺だけのものにしたい。
あけを穢すのは、俺だけで良い。
変な独占欲。
時々壊れそうになった理性。
言い訳はきかない。
でも、それとは別に、俺は違う感情の名前を付けてその気持ちに気づかないフリをしていた。
アイツが餓鬼だから、母性本能的な感情なのだと。
感情に素直になってしまったら、俺はアイツを手に入れるために、アイツを無茶苦茶にしてしまうから。
俺は静かに身体を起こすと、今まで考えていたことを無かったことにするかのように、再び遥に笑みを浮かべた。
隠してる感情?そんなものはない
(素直に生きちゃいけねぇんだよ、俺は)
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