いらっしゃいませ!
名前変更所
どういうことだよ、これ?
目の前に映る真っ赤な炎に、愕然とするしかない。
火をつけた男は後ろから桐生に殴られたのか、急に静かになった。
「遥ッ!あけッ!」
「桐生・・・!無事か!」
「おじさん!」
桐生の元へ駆け寄ろうにも、炎が邪魔で倉庫から出ることが出来ない。
私は遥を炎から庇うように立ち、ここからの脱出に使えそうなものはないか見回した。
だが、所詮はバッティングセンターの倉庫。
火を消すのに使えそうなものなんて、まったく無かった。
撒かれた灯油に煽られ、凄いスピードで火の手が回っていく。
「お姉ちゃん・・・っ」
「大丈夫。大丈夫だ」
やられたら大人しく引き下がればいいものを!あの馬鹿男!
助かったと思った瞬間にこれだから、男に対する苛立ちが尋常じゃない。
何度、遥を怖い目に合わせれば気が済むんだ。
炎に怯える遥を抱きかかえた私は、もう一度倉庫の中を見渡した。
何でもいい。使えるものがないとここで焼け死んでしまう。
「はぁっ・・・くそ・・・!」
私は遥を倉庫の1番奥へ連れて行くと、呼吸が出来るよう避難させた。
段々と倉庫の中に追い詰められ、桐生との距離も離れていく。
遥を守ってやりたいが、煙のせいか私の体力もあまり持ちそうにない。
ぐるぐると世界が回る。呼吸が乱れる。
眩暈とは違うその感覚に、私は意識を飛ばさぬよう歯を食いしばった。
「けほっ・・・!」
「遥!!あけ!!今すぐ、そっちに・・・!」
「馬鹿か!お前が来ても意味ねぇだろうが!!」
何も対策なしに突っ込んで来ようとする桐生を、怒鳴り声で止める。
逃げ口がない場所に突っ込んで来るなんて、馬鹿がすることだからだ。
桐生もそれを分かっているのか、無理やりこっちへ来ようとはしなかった。
その代わり、何か使えるものはないかと探す素振りが見える。
こんな所で死ぬなんて、ごめんだ。
やっと最近、楽しくなってきたところなんだから。
私は奥で苦しそうに震える遥を見つめた後、静かに覚悟を決めた。
「遥、こっちに来い」
「お姉ちゃん・・・?」
何もしないで死ぬぐらいなら、やってやろうじゃないか。
そっと胸元に手を伸ばし、着ていたスーツを脱ぎ捨てる。
中に着ていたシャツも、すぐに脱げるようボタンを全部取った。
そんな私の様子に、遥は首を傾げる。
「お姉ちゃん、どうした、の・・・?」
「合図したら息を止めろ。ぜってぇ私から手を放すな」
「え・・・?」
「いいな!?」
遥を前に抱きかかえ、有無を言わさず遥を頷かせた。
燃え盛る炎を睨みつけ、ごくりと喉を鳴らす。
「っ・・・」
風に煽られて飛んできた火の粉が、私の右頬を掠めて落ちた。
火の粉でこれだけ熱いんだ。飛び込んだらもっと熱いんだろうな?
自分が今からしようとしていることを、他人事のように考えて笑う。
―――――――笑うしかないんだ、今は。
「桐生!」
「なんだ!?」
「すぐに構えろ。遥を渡すから」
「お前・・・!?おい、馬鹿なことはやめろ!」
「遥!息を止めろッ!!!」
私が何をしようとしているのか、分かったらしい。
桐生は私を必死に止めようと、炎の向こう側から声を上げた。
でも今止まったって、体力を消耗していくだけだ。
それなら、多少無茶してでも。
私は遥をぎゅっと抱え込み、一気に炎の中へと飛び込んだ。
ジュッという嫌な音が、私の身体を蝕んでいく。
「がぁっ・・・!」
「お姉ちゃんっ!!」
「桐生!ほらよ!」
炎を越えてすぐ、私は服を脱ぎ捨てた。
上半身素っ裸だけど、そんなこと気にしてられない。
遥を投げ渡すように桐生に預け、傷ついた身体を庇いながら寝ころぶ。
痛いどころじゃ済まないぐらい、めっちゃ痛い。
服が全部焼けてしまったんだ。当たり前といえば当たり前だが。
「はぁっ・・・はぁっ・・・」
「あけ・・・!おい、しっかりしろ!」
「うっせぇ、よ・・・見んな変態・・・」
駆け寄ってきた桐生に、冷たい言葉を吐き捨てる。
胸を隠すように後ろを向けば、桐生が今までにないほどのおっかない声で私の名前を呼んだ。
「あけ」
「・・・説教なら後で聞く。今は遥が無事だったことを喜ぼうぜ?」
「なんでこんな・・・無茶を・・・」
「やれるんだったら、やりてぇじゃねぇか。ただ焼け死ぬよりマシだ」
「そうだとしても、お前が無事でなきゃ・・・意味ねぇだろ」
そう言いながら、桐生の手が私の火傷を撫でる。
どうやら遥は疲れて寝てしまったらしい。
可愛らしい寝息が聞こえる中、少し柔らかい声で桐生が囁いた。
「無事でよかった、あけ」
「っ・・・」
耳元で囁かれる声と共に、背中から被せられるスーツ。
立ち上がるために伸ばされた桐生の手を、私はしっかりと掴んで立ち上がった。
また、だ。また変な息苦しさがする。
ただ心配されただけなのに、囁かれた耳元がくすぐったいまま。
心臓の音がどくどくと、うるさいぐらいに鳴り響く。
「あけ、さっさと行くぞ」
「わ、分かってる!」
「・・・顔が赤いぞ?どうした」
「ほっとけ!」
私はしばらく桐生の顔を見ることが出来ず、結局見れるようになったのは、無事セレナに着いた後だった。
セレナに着いた後、私たちは遥の話を聞いていた。
助けてくれたおじさんが言った、ペンダントの話を中心に。
どうやら遥を助けてくれた奴は、遥のペンダントのことを知っていたらしい。
母親に貰った大事なペンダントで、それに100億の価値があるとかなんとか。
ペンダントに100億なんて、信じられるもんじゃないけどな。
まぁでも、鍵が付いてるみたいだし。
中にそれなりの何かが入ってる、ってこともありえるだろう。
遥の話に集中していた私は、考えることに夢中で桐生に気付かなかった。
背後から近づいてきた桐生は羽織っていたスーツを脱がすと、言葉も無しに消毒液を塗りたくる。
その痛みに私は悲鳴を上げ、涙目になりながら桐生を睨み付けた。
「てんめぇっ!いきなり何するんだ!?」
「何って、消毒に決まってるだろう。じっとしてろ」
「や、ちょ・・・!?まって!」
背中を中心に点々と広がる、火傷の痕。
じんわりと染みていく痛みに耐えることが出来ず、私は悲鳴を上げ続けた。
伊達さんに助けを求めても、無茶したお前が悪い!と言って助けてくれない。
遥も麗奈さんもただただ楽しそうに見ているだけだ。
せめて遥に優しくしてもらいたい。それか自分で。
「いただっ!いたあぁあぁ!は、遥!遥にやってもらうから良いって!」
「駄目だよお姉ちゃん、おじさんも心配してたんだから!」
「いや、これ心配してる人に対する治療の仕方じゃ・・・ぎゃー!!」
「暴れから手が滑ったじゃねぇか」
「ほんと、仲が良いなぁ」
「よくねぇ!ほのぼのしてないで助けろ伊達さんっ!」
暴れれば暴れるほど、手が滑ったと言って桐生が消毒液を押し付けてくる。
こういう雰囲気も悪くはないが、とりあえず早く痛みから解放されたかった。
桐生の消毒する手が段々と下がっていき、腰へと移る。
なんか、変な感覚だ。
無言で治療されるのもくすぐったいので、私は桐生に話を振った。
「これから、どーすんだよ?」
「・・・あんまり情報もないしな。街に出てみるつもりだ」
「情報収集ってわけか・・・なら、私もお前がいないうちに情報仕入れにいってくるぜ」
その言葉に、桐生の手がピタリと止まる。
私はそれに気づかないまま、持っていた手帳をゆっくり広げた。
この手帳は私が集めてきた情報の全てが載っているものだ。
命の次に大事、といっても過言ではない。
「うーん、近江連合と由美と美月・・・んで、錦山のことも必要か・・・」
「何度も言うが、無茶は・・・」
「お前さー」
桐生の言葉を遮り、私は顔だけを桐生の方へ向けた。
言葉を遮られたことが嫌だったのか、桐生はムスッとした表情を浮かべている。
でも、桐生の言いたいことは分かっていたから。
また無茶するなって、言いたかったんだろう。
いっつもこれが日常茶飯事だった私にとっては、どうしてこんなに過保護に怒られるのか分からないんだけど。
「なんでそんなに過保護なんだよ?」
「あ?」
「少しぐらい無茶するのがこの世界だろ?ったく・・・ほんと、変なやつ」
「・・・お前のは、無茶の域を超えて無茶苦茶だからだ」
「うぉ!?」
突然頬っぺたを引っ張られ、変な声が出た。
桐生はそのまま私の頬っぺたを横に伸ばしていく。
「いひゃやい!」
「お前が遥より餓鬼くさいから、うるさく言うしかないんだろうが」
「んだとぉー!が、ガキ扱いするなっ!」
「まぁ確かに、あけは子供っぽいなぁ」
「ひでぇぞ伊達さん!」
「そういえばあけちゃんって、何歳なのかしら?」
何歳って、あれ。私言ってなかったっけ。
麗奈さんの質問に、伊達さんの失礼な言葉も忘れて首を傾げる。
そういえば、私何歳だったかな?えっと・・・確か。
私は消毒の痛みに身を捩りながら、麗奈さんの方を向いて答えた。
「私、26歳だぜ」
「・・・」
空気が、固まる。
静かになった空間の中で、私の悲鳴だけが響いた。
これは一体、どういう意味の無言なんだよ!
問いただすように伊達さんを睨み付ければ、桐生の言葉がグサリと突き刺さる。
「20歳いってたのか」
若々しく見られることは、嬉しいことだと思う。
私の場合はこれを商売道具として使ってるぐらいだ。
だけどここまで清々しく言われると、苛立ちの方が大きい。
「お、おい、お前そんな目で私を見てたのかよ!」
「それだけあけちゃんが若いってことよ?」
「そうかもしれねぇけど、今の反応は絶対に馬鹿にしてた!」
「うるさいぞ・・・あんまり騒ぐな。遥が寝てるんだ」
「うるさいってお前が失礼なことを言・・・~~~~っ!」
黙れと言わんばかりに押し付けられた消毒液が、私の言葉を遮った。
久しぶりにバカで、賑やかな会話。
嬉しそうにスヤスヤと眠り始めた遥を見て、私は仕方なく口を閉ざした。
平和な眠りを、今だけでもこの子に。
(私は寝ている遥を撫で、街へ繰り出す桐生の後を追いかけた)
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